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日本社会の劣化が印象付けられた2023年 ~このまま崩壊するのか、それとも [雑想]

 日本共産党の赤旗スクープから始まった自民党、特に安部派の金権腐敗が留まることを知らない勢いである。

以下赤旗主張から

主張 松野氏の裏金疑惑 「答え控える」はもう通用せぬ

主張 自民党派閥の裏金 疑惑底なし 政権担う資格ない

ついでに東スポも

田崎史郎氏 安倍派〝疑惑の方程式〟スクープの赤旗に「また赤旗に抜かれてしまった…」
*テレビ番組のまとめみたいな「記事」だが...。なお田「﨑」が正しい


 今年の年末は、自民党「安倍派」崩壊の序曲で幕を閉じる。この事件は本当に救いようのない疑獄事件で、「パーティー券」が事実上企業献金の抜け道として使われたのみならず、それが政治資金規正法逃れとして自民党の安部グループが長年利用してきたということである。
 言うまでもなく安倍グループは、2012年から長らく政権首班として日本を極めて悪い意味で支配していた人々である。マスコミを支配し、官僚を恫喝し、日本の民主制度を根底から破壊してしまった連中である。
 そして森友加計学園問題で公文書の書き換えを行わせ、桜を見る会では政権による私物化を推進、子飼いのジャーナリストによる性犯罪をもみ消すことまでやってのけた政権である。
 カルト宗教「統一協会」に野党時代に特に接近し、その支配と拡大を放置どころか一緒になって進めてきたともいえる勢力が自民党、特に安部派である。

 「こんな人たち」が日本の政界の中枢にいて日本政治のかじ取りを進めていた。その結果が、日本の経済と世界における位置が徹底的に沈滞したことだ。

 その政権をネットでは擁護する意見が大きかったが、それすらも政権が運営していた-Dappi問題でその一端が見えたが-ことすら明らかになった。

 そして私を何より絶望的な気分にさせるのは、これらの問題が、2022年夏に安倍晋三が暗殺されてから噴き出した問題ということだ。もちろんモリカケサクラ問題の頃も我々は問題視していたが、マスコミも世論も動きはそれほど大きくはならなかった。

 たった一人の人間が殺されたことで、ここまで様々な問題が顕在化して社会問題となっている。いやいや、生きているうちに顕在化しないのは何故なんだ。いったいどうなっているんだ。何なんだこの日本社会は。何かが崩れてしまった。

 これは日本の社会状況が極めて非民主的な空気の中で動いていることに他ならないのではないか、私はそう思うのだ。そしてそれらを安倍政権とそれ以降の政権が作り上げてしまった。
 安倍政権の犯罪はまさにそのような社会を生んでしまったことにあるようにも思う。


一方...

 私はこの間「日本共産党の中でこれ以上続いてはいけないこと」として連続で記事を書いた。
*記事表題はアルチュセールのパロディですが

 今年の1月から始まった「除名問題」の対応を1年近く見続けてきた。そして-今回自民党金権腐敗のスクープを出したけれども-日本共産党という組織の、様々なまずい対応、もう愚かと言っていい対応を見るにつけ、自民党もそうだが共産党も何か組織的劣化が進んでいるのではないかと考えるに至った。
 「除名問題」に関わる諸々は、そう思わせるに十分なほどひどいものだった。併せて大阪、富田林市などのハラスメント問題も見るにつけ、共産党もこれまたあまりにもまずい対応が続いている。

 これは何故だろう。

 私は「日本共産党の中でこれ以上続いてはいけないこと」の中で、共産党というのは実は日本社会の古い部分を忠実に受け継いでいる組織だと感じてそれを指摘した。

 それがこのようなまずい対応を生む。

 それはとりもなおさず日本社会全般が何か沈下していて、我々はゆっくりと衰退・崩壊への道を進んでいるのではないかという疑念を抱くに十分な状況なのではないか。そう思うのだ。

 今大問題になっている大阪万博問題、これは「日本維新の会」問題と言ってもいい事態だろうと思うが、何も自民共産だけではない、政党政治を進める人々全体が、劣化したというか、

社会の進歩に全くついていけていない

だからこそこうしてまずい対応が繰り返される

 そのような状況になっているのではないかと思うのだ。そしてそれらの勢力は国政を運営しているのであって、それが日本が世界の中で地盤沈下していく最大の要因にすらなっているのではないか...

 さて。

 取り留めなく書いたがこれはかなり深刻な状況でもある。このまま我々は沈没し崩壊するのか、それともどこかで再生の道はあるのか。それにしても大きな犠牲を伴うことは避けられないようにも思う。実はすでに犠牲は多く出ているかもしれない。

 今後どうなっていくのだろう。先行きは全く見通せない。明るい展望などお世辞にも書くことはできない現状。それが2023年だ。来年はますますひどくなるだろうが、それが安倍政権を放置してきたツケと言えるのだろう。
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社内システムをワンオペするということ [雑想]

これ、ちょっと話題になっていて私も読んだんだけど・・・。


え、社内システム全てワンオペしている私を解雇ですか?1

 かつては情報システムと言えば戦略的な要素があって、そこへ投資をすることが先進的みたいな風潮が、ごく一部だったかもしれないが、あったと思う。
 それにかこつけてコスト意識の全くない「情シス」部門があることも私はよく知っている。そんなところを見たことがあるから。

 しかし2020年代の今、社内システムってインフラだから、よくわかっていない管理職がコストカットして一時的に自分の評価を引き上げようとする。そんなことがあちこちであるようだ。そんな悲哀を随分ライトに描いているのがこの作品。

 まあ、ワンオペしている人に対して普段は-いなくなられると困るから-適当に褒めるんだけど、いざ「何かしなきゃ」という局面になると、こうして目先の成果につられて意味不明なことをする人というのはいるものだと思って読んだ。

 うん。

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タグ:ワンオペ
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新聞の、読者投稿欄のこと [雑想]

 私はもう40年以上新聞を読んでいる。子どもの頃から自宅には新聞があって、それをざっくり読む癖ができた。一人暮らしをするようになった18歳からは新聞を自分で購読し、よく読んでいた。それは今でも変わらない。

 ここ10年位からは、読者投稿に目を向けることが多くなった。いわゆる「投稿欄」には多くの無名な人々の投稿が掲載され、時にさりげなく有名人が投稿もしていたりする。SNS時代になってからは、時々投稿が引用され拡散されるようにもなった。

 もう5年前になる。

毎年同じ日に投稿していた早乙女勝元氏

「妻が願った最後の『七日間』」2018年3月9日朝日新聞
 朝日新聞に掲載された「1月中旬、妻容子が他界しました。入院ベッドの枕元のノートに『七日間』と題した詩を残して。」から始まる、この非常に切ない内容の投稿はあっという間に大バズリし、書籍にもなったと聞く。この投稿は3月9日朝刊だったが、そのすぐ下の欄には、早乙女勝元氏の投稿「3月10日に消えた声を語り継ぐ」が載っている。つい最近鬼籍に入られた早乙女さんは、ライフワークとなった東京大空襲を語り継ぐために、毎年3月10日付近に朝日新聞に投書を寄せるのだ。そしてそれを同紙は毎年掲載し続けた。

 有名人の意外なエピソードが、当時を知る人々によって語られることもある。

「『お色気』大切 加古さんの一言」2019年3月24日赤旗日曜版
 この日のしんぶん赤旗日曜版の読者コーナー「人生のうた」には1959年に創刊された日曜版と絵本作家のかこさとし氏のエピソードが載っている。
 創刊号に掲載されたブリジット・バルドーをみた当時30代だったかこさとし氏が「共産党さんも考えましたね。お色気というのは大切ですよ。私たちもみんなバルドーさんのこと知ってるじゃないか」と話して大笑いになったことが紹介されている。

 「人生のうた」は比較的高齢の投稿者が多く、考えさせられる内容も多い。

「50銭札盗んで女の子に渡す」2017年10月29日赤旗日曜版
 戦後避難先で「向かいの軒下に十一、二歳の女の子がいて、ボロボロの服にうずくまっていた。」「そっと母の財布から50銭紙幣を盗み・・汚れた手のひらに丸めた紙幣をのせた。」「・・近くのお寺の陽だまりの隅にボロボロの服にくるまり冷たくなった女の子がいた。・・手の中に50銭札があったという。」「母は5年前、99歳で逝った。とうとう母にも話せなかった。『母さん』とつぶやいた女の子の泣き声が心の隅に今も張りついている。」

 京都の福知山市で長らく議員をしていた99歳の平野力さんという方が、よくこの欄に投書をしている。私は彼が90代前半くらいの頃から紙面で名前を見つけ、よく投書を読んでいた。投書の内容は日々の生活だったり、昔の思い出だったり。特にご自身の祖母が駅のことを「ステンショ」と呼んでいたエピソード(2017年11月5日号)、父親が旧制一高や三高の寮歌を歌っていたこと(2020年7月19日号)が印象深い。90代の人物が語る江戸時代生まれの祖母と、抑留から帰国する3か月前に亡くなった父はこの他にもたびたび投書に出てくる。
 平野さんについてはシベリア抑留体験時の記事があるのでリンクを掲載する。

「京都)極寒の抑留生活、語り続ける 福知山の平野さん」

「スターリン時代と変わらない」 77年前のシベリア連行とウクライナ重ねる元抑留者

 上記のほか取材記事としては「しんぶん赤旗(日刊)」2021年8月29日号等にも登場している。

「あばれたのはあの一度きり」2022年11月5日赤旗
 東京都の70代女性の投書は、1年前に亡くなった愛犬「ベルモ」のお話し。「わが家には『ベルモ』という名の大きめの犬がいました。」穏やかで優しいエピソードをつづり「家の中の自分の場所でゆったりと過ごしていました。」
「暴れたのは一度。夫が亡くなって帰ってきた時だけ。お医者さんに安定剤を注射してもらい落ち着きました。」
 ちなみに投書の表題を設定するのは、ほぼ編集部である。私の投書が掲載されたときはそうだった。編集部はこの投稿の「転」であるエピソードを表題にしたのだ。上質な散文詩を思わせるこの投稿に適切な表題を付けている。

 新聞投稿する人は、投稿欄を見ればよくわかるが、高齢者が多い。なので意識的に新聞は若い人の投稿を掲載する傾向がある。

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昔の入院と1980年代の気管支喘息のこと -自己決定権の罠「六歳の原点」を読んでの回想 [雑想]

 さるフェミニストの方が紹介していたので、電子版を購入して読んでいる。小松美彦教授の「『自己決定権』という罠」。


*kindle版 最新版の一つ前


*最新版 電子版なし

 この本の主題とは別に、著者の小松氏が虎の門病院に6歳の頃2週間入院したことを記述しているが、これを読んで思い出す。私も入院していたことがあったのだ。1980-81年に。

入院したこと 1980年。北海道日高地方の大きな病院で

 私は子どもの頃、3度ほど入院した。
 体があまり強くなかったのかよく風邪も引いた。なにより気管支喘息だったので、よく発作を起こしそれが決まって深夜なものだから、翌朝までほとんど眠れず学校を休むことがあった。
 喘息というのは、発作時に気管支が炎症で細くなる病気。横になっていると息苦しくなるので、椅子に腰かけるなどして体を起こすと-ほんの少し-楽になる。でもそうすると眠れない。ほぼ夜が明けるくらいまでまんじりともせず、でもさすがに睡魔に負けていつの間にか眠って目が覚めると朝で、学校に行かなければならないのは結構しんどかった。

 さて、一度目の入院は虫垂炎だった。地域で一番大きな赤十字病院に入院した。小児科病棟はないので女性の8人(6人だったかも)部屋だった。その病院では毎朝6時になるとスピーカーから音楽が流れてくる。起床時間なのである。そして「検温の時間です」というアナウンスが流れ、看護師が病室に入って水銀式の体温計で検温する。水銀式は計測に5分ほどかかるので、看護師は一旦別の患者に対応し、しばらくして戻り体温計を回収していく。昼ご飯は普通の時間なのだが、夕食が早い。午後4時半にもう配膳されるのだ。消灯時間は必ず午後8時。それ以降は起きていてはいけなかった。
 その病院は最上階に売店があって、そこで時間を潰すのが唯一の娯楽だった。なにせ病室にはテレビもないし、音楽も聞けない。ソニーからウォークマンが発売されたくらいの時期だったが、そんな高価なものを小学生が持っているはずもない。もちろん携帯電話もない。公衆電話で連絡するくらいしか通信手段もなかった。
 当時は虫垂炎術後でも7日間ほどの入院が必要だったので、とても暇だった。しかも最終日、抜糸の日だったのだが喘息発作を起こして呼吸器的診療を行い帰宅した記憶がある。

2度目の入院 1981年。田舎のある町立病院のこと

 当時気管支喘息は一応発作時に薬らしいものは飲むこともあったが、あまり効果を感じられなかった。でも発作は断続的にあった。
 月に数度はそんな発作が起こり、時間外に田舎の町立病院に受診した際、対応した医師は不機嫌(*)そうに入院を宣言した。1981年の秋頃だ。こうして私の2度目の入院が始まった。
*現在のレベルの「不機嫌」ではない。明らかに怒っているわけだ。その理由は最後に書く。

女性の6人部屋 とんでもない患者たち

 私は男性だったがまだ小学校高学年だったので、当時田舎の病院で小児科病棟などあるわけもなく、またも女性の病室だった。6人部屋だったと思う。
 前回虫垂炎の時は、他の患者のことなど全く気にならなかったのだが、今回の入院は期間が決まっておらず、両親は数日のつもりだったが半月も入院になってしまった。すると同室内の他の患者も見えてくる。
 当時はベッドネーム部分に名前と、生年月日と年齢、そして入院日が書かれていた。子ども心にぎょっとした。「この人2年も入院してる。あ、あの人は1年も」という感じでやたらと長く入院しているのだ。全員認知症(当時は老人性痴呆と言った)でもなく、スタスタ、とまではいかないがしっかり歩いて元気なのである。何の病気なのだろうと思うとどうやら糖尿病だったり、心臓の何かだったりするらしい。
 年齢は60代後半から80代半ばまでだった。90代はいなかった(*)

 糖尿病の「患者」はこっそり差し入れの大福とか饅頭とか食べているし、正直なんの治療をしているのかさっぱりだった。食後の服薬は皆あったが、それ以外は、検査するでも経過観察するでもないという感じだった。これは私が子どもで見ても分からなかったのもあると思うが、実際投薬以外の治療はしていないだろう。
 そして同室者には、性格がねじ曲がっているのがいた。こそこそ嫌味を言ったり、なにかするたびに文句を言ったりと、そんな人が病室に1~2人はいる。
 面会に小学生の学友が来たり、親が来たりと私のところには頻繁に誰か来る。子どもだったし現代では当然だろうが、どうもそこが気に食わなかったのだろう。長期入院のこうした人には滅多に面会が来ず、たまに来ると同室者の文句ばかり言っている。で私が何かするとぶつぶつ小言を言っている。
 私にはそれが不快で仕方なかった。
 穏やかで優しい人も入院するが、そんな人に限ってすぐに退院してしまっていた。

 思うに、口さがない言い方すると家族に疎まれて入院させられちゃってるのかな。本人それを自覚しているから性格がねじ曲がったのか。それとも性格が悪いから「捨てられた」のか。
 まあ今更どっちでもいいや。そんな人が当時はいた。「社会的入院」というやつだ。これが全国共通かは知らないが。

*60代後半をなぜ覚えているかというと、「私は70歳なのよ。だから老人医療使えるはずなのよ」と何度もグチっていたから。あまりにもグチが多かったので覚えている。1981年頃の60代は子どもの頃数えで年齢を呼称するから70歳といっても満年齢では68-69歳になる。この頃は老人医療費が無料だった時代なので、対象なら入院医療費も無料だったはずだ。食費も同様。ちなみにこの人も性格が悪かった。

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喫茶ルーブルと喫茶室ルノアールと菊屋ビルディングのこと [雑想]

 立川市に「菊屋ビルディング」という古いが大きなビルがある。建築年代は1970年代後半くらいだろうか...と思って調べたら1969年だった。通りに面した1階の食器店が菊屋で、自社ビルのようだ。

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菊屋ビルディング全景

 クラシックなエスカレータで2階に行くと、これまた道路に面したエリアの多くを使った喫茶店「喫茶ルーブル」がある。入ってすぐに、分かる人には分かると思うがここは10年ほど前までは「喫茶室ルノアール」だった。ルノアールが撤退したときに、そのまま居抜きでルーブルが引き継いだということのようだ。メニューすらほぼ同じだったりする。

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クラシックなエスカレータと照明、そして飛び出したスプリンクラー(証明と照明の間にあるオブジェのようなもの)が時代を感じさせる

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ルノアールから引き継がれた独特なソファとイス

 コーヒーはブレンドとアメリカン(*)。他にもいくつかドリンクメニューがあるが、頼んだことがないのでよく覚えていない。
 午前中11時30分まではモーニングメニューがあり、ドリンクに追加で80円から130円出すと金額に応じてトーストや卵サンドイッチ、スープなどが付いてくる。このモーニングのコスパがすごく高い。コーヒーを飲み終えてしばらくすると、店員が熱いお茶を持ってくる。この通りコーヒー一杯で長く居続けることも可能。クラシックなサービスでゆったりと時間を使える、それがルノアールでありルーブルであった。
*知らない人も増えていると思うので注記するが、「アメリカンコーヒー」とは薄いコーヒーのことである)

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ブレンドコーヒーとモーニングBセット

 「喫茶室ルノアール」は都心に多くあり、外回りの会社員などが多く利用しているイメージがある。立川にも菊屋ビルの他、北口と南口にそれぞれ一軒ずつあって、北口のそれはビル建て替えに伴い閉店しているので、今は南口に一軒だけとなっている。

 こんな形態なので、客層は年齢高め。時々年寄りが集まっておしゃべりに興じていることもあるが、多くの場合店内は静か。特に朝はそうだった。

私にとってのビジネススクール(ただし自習)

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コロナウイルスとコロナワクチンとの個人的な体験 [雑想]

 新型コロナウイルス感染症が猖獗を極めた12月、とうとう私(と家族)も感染してしまった。コロナウイルスに。

経過と感染状況

 まず上の娘が感染した。感染前は満員電車で通学したりライブに行ったり私とアウトレットに行ったりしていたが、どこで感染したかはもうわからない。幸い娘の部屋は隔離にちょうどよく、他の家族との導線が重ならない場所になっていた。とりあえず5年ばかり前に買ったシャープ製の空気清浄機を置いた。隣接するトイレには紫外線(254nm)殺菌装置を置いた。
 翌日近隣の発熱外来の予約が取れ、屋外でPCR検査。予想通りコロナウイルス陽性だった。発熱は39度くらいで、アセトアミノフェンを随時飲んでいたこともあり、数日で平熱に戻ったようだ。大学へ私が連絡し、その後スマートフォンから自分で各種登録を行っていた。

 私の自宅は幸いなことにペットボトルの水が大量にあり(年末なのか安かった)、食品の備蓄はそれなりにあるためさほど困らなかった。それでも私が2度ほど外出して買い物をした。

 しかし。

 娘の発症から3日後、妻が発症した。翌日の発熱外来受診で陽性であった。その3日後私も発熱した。私はもう面倒なので発熱外来は受診しなかった。だから私は患者数にカウントされていない。
 私たち夫婦の感染源は間違いなく娘であって、二人で食事や身の回りの品を届けたり片付けていたので、気を付けてはいたが感染した。・・正直言うと私はそんなに気を付けていなかったけど。

 一時私は二人を看病しつつ下の娘の学校準備などしていたが、私が発症してからは一転、私が部屋に隔離され、他の人が食事だけ用意するようになった。娘もオムライスなど作ってくれた。発症日を発熱の前日と想定し、症状改善もありクリスマス前には隔離解除とした。

 下の娘は病人に近寄らせなかった。そのためかこんなに感染力が強いにもかかわらず、感染しなかった。

私自身の経過
(50代男性・気管支喘息・アレルギーあり・脂質異常症(未治療)・心電図検査で時折異常あり)

 私の症状はさほど重くはなかった。一応ぜんそくとアレルギーがあるので重症化リスクはやや高めのはず。が、発熱も39度になったのが一日だけ。それも私自身は気が付かずパソコン操作していると、顔が赤いと妻が心配して測定し出た数値だった。
 呼吸器系も咳が時折ひどく出る以外はまったく問題なし。血中酸素濃度(これも一昨年中国製のものを購入済み)も一貫して正常だった。
 私の場合、症状はインフルエンザとほぼ同等だった。ただし2017年くらいまでおそらく毎年感染していたインフルエンザは、発熱は37度くらいで咳等の症状はほとんど出なくなっていたが。

 隔離中、時間を持て余している人が多いと聞くが、私は部屋の中で様々できるように環境を調整しており、本も大量にあるしオーディオ環境も整っているので全く困らなかった。動かないので空腹にもならない。

 東京都などから物資をもらったという報告があるが、私は申請しなかった。食品はとりあえずあるし、そもそも陽性者登録には検査結果の添付が必要だったはず。結果は電話でもらっているため医療機関まで取りに行く必要がありそうで、発熱外来がパンクしている現状ではそのようなストレスを医療機関に与えたくないとの私の配慮もある。

コロナウイルスワクチンのこと ~ささやかな後遺障害と思われるもの

 コロナウイルスワクチンは昨年1月末に3度目を接種済み。私の家族も夏までに3回ワクチンを接種済みであった。私はファイザー・ファイザー・モデルナ。他の家族は3回ともファイザーであった。

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よく考えるとこの社会はとんでもないことになっていたようで ~2022年を振り返る [雑想]

今年もようやく終わる。簡単に振り返る。

 今年2022年の大きな話題と言えば、やはり安倍晋三が殺されたことが大きい。個人の存在が大きいとかではなくその死後に起こった諸々の案件が非常に大きかったということだ。

・彼の死後統一協会(*)がクローズアップされた。
*私は「教会」と表記しない
・・実行犯が統一協会の二世で、自死すら行うほどに追い込まれていたこと。
・・政治家と統一協会との癒着が明るみになったこと。その過程でいわゆる「ネトウヨ」層に統一協会員が少なからず組み込まれていたことが発覚したこと。
・・多くの統一協会を扱ってきたジャーナリストや学者が、マスメディアへの出演や著作の発刊などで日の目を見たこと。

 これは私たち政治に目を向けている層からすると昔から知られていたことで、近くの自治体八王子市の議員「萩生田」などは地方議員の時代から統一協会との関係が深い(*)ことで有名だった。
*我々はこのような人物を「勝共系」と呼んでいた。
 そして統一協会への日本国民の忌避感が、これほどまでに強いものであることが明らかになったこと。やはり元首相の暗殺という契機があったにせよ、私自身ここまで統一協会を憎む世論があったのだということを改めて実感した。もはや統一協会とそのダミー団体(勝共連合とか世界平和教授アカデミーとか勝共UNITEとか)は表立って活動はできまい。これは一つの進歩ともいえよう。

 すっかり有名になった鈴木エイト氏は、やや日刊カルト新聞で10数年前から統一協会関係の記事を書いているのを目にしていた。サイトを主宰している藤倉氏ともちょっと違い、誠実な筆致に関心もしていた。そして何より情報が入りにくくなっていた統一協会関連の記事を出し続けていることをありがたく思っていた。それが連日のようにテレビ出演をするなど隔世の感がある。
 こうして地道に取り組んでいるジャーナリストが日の目を見るのはうれしい。

 自民党や右翼系政治家がここまで統一協会と関係している、ある者は信者ですらあるという事実を私たちは決して忘れず、このような破壊的カルトがなぜ政界に浸透しているのか、それを許している政治勢力は何の意図があってそうしているのか、2012年からの自民党政権でそれが一層強化され、その中核に安倍晋三らがいたことを考えたい。
 そしてそれらを決して許さない、自民党を決して許さない世論喚起が重要なのだと改めて思う。

そして..。

・世論の批判のもと開催された東京オリンピックが、泥沼の利権構造であることが明らかになったこと。

 これも考えたい。安倍晋三が直々に「絶対に逮捕されないようにする」と明言していたこと。そしてその重しが取り除かれ、元電通の大物らが逮捕され、全容がこれから明らかにされようとしている。

・・・・・

 民主国家において、暗殺は効果が低いとされる。権力者を倒しても権力構造はそのまま残り、政治体制は揺るがないのが通常だからだ。
 しかし安倍晋三の死とともに噴出したこれらの問題を見ていると、日本とは本当に民主国家だったのだろうかとの疑念を抱かざるを得ない。

 かつて日本は「経済は一流、政治は三流」などと言われていた。バブル絶頂期当たりの頃だ。
 すでに経済は30年間停滞し、昨今特に(これも安倍が死んでから顕著なように思うが)日本の賃金が上がらず、経済が停滞し続けていることと、今年顕著になったインフレで生活が厳しくなっていることがよく報道されている。

 政治はますます劣化し、経済はすでに三流になり、その流れが加速した2012年以降の自民党政治。それに深くかかわっていたのが破壊的カルト組織統一協会。
 それが白日の下にさらされたのが安倍晋三の死だとは、何とも日本社会の劣化とはここまで来てしまったのかと慨嘆せざるを得ない。
 安倍政権というものがどれほど狂っていたのか、そこからの回復にどれほどの時間がかかるのか、それを考えるに野党となった後自民党が極右化したことで、この国に与えたダメージがどれほど大きかったのかを考えたい。


Twitterのこと

 安倍政治との関連を考えるにTwitterも挙げておきたい。私個人は今年からTwitterを少しやるようになって、何度か「バズり」というものも体験した。それを契機にフォロワーも増えた。

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年の瀬と社会と私と [雑想]

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すっかり解体されてしまった築地市場

 去年と同じく、また銀座に行く。

 自動車で行くのだが、案外安い駐車場が多い。料金は12時間で上限1500円くらい-立川駅近傍よりも安い-、と言うのも高さ制限が155cmというところがいくつかあるからだ。旧式の機械式駐車場は、この高さ制限があり、今時の軽自動車やミニバンは入らない。だから安くするのだが、おいそれと建て替えるわけにも行かないのだろう。高さ制限のある駐車場は案外多い。小さな車の私にはありがたいことではある。
 それでもそんな駐車場にレクサスの600クラスが入っていたりする。

 5丁目の駐車場を出て、ふらりと歩く。途中見かけた新橋玉木屋で佃煮を買う。築地に向かい、去年と同じ店で乾物を買う。去年よりもなんだか混んでいる。小雨なのに。

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築地場外 ここはまだいいが、途中身動きがとれなくなる場所もあり

 10時くらいはまだ人通りも少なかったが、昼前ともなると人が増えてきた。相変わらず銀座は半数が諸外国からの観光客だ。中国語や英語の他、フランス語やタイ語かな、いろいろな言語が飛び交う。
 4丁目に戻り鳩居堂で正月飾りを買う。自宅用と職場用に。

 竹葉亭銀座店で昼を食べる。松屋のコダマでまた生ハムを買う。これが私の定番になっている。

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竹葉亭銀座店にて

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トシ・ヨロイヅカのお店でケーキを買う

 夏に買ったスマートフォン、Oneplus 7pro。確かに映像はきれいなんだけど、被写界深度が浅くてピント合わせが難しいなあ。

 ちょっと買いすぎた。これもまた毎年のこと。

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年の瀬に銀座と築地に行ってみた [雑想]

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 年末にふと思い立ち、初めて自動車で銀座に行ってみる。立川から一般道で1時間少々。

 年末30日は日曜日。知らなかったのだが銀座、日曜日の方が駐車料金が安い。駐車場料金に一定の上限を設けているところが多いが、日曜は平日の半額以下。1000円台の料金設定が結構あるのだ。
 銀座は小さな路地にたくさんの駐車場があり、案外駐車場には事欠かないみたい。・・と言っても空き地にTimesが1台からの駐車場を設置しているので、一つ一つは小さいのだけど。

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ビルの1階にたった2台のTimes駐車場

 今回はちょっと足を伸ばして、築地場外に行ってみる。

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取り壊される築地市場

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場外はすごい人出

 各国語が乱れ飛ぶ築地場外。主に中国語が多いが、こんな時期に日本に来るとは、やはり富裕層なのだろう。こうした外国人客がなければ、早晩銀座は冷え込んでしまうのだろう。そんな印象。
 寿司屋で軽く昼食を、と思ったが、すごい人出にとても無理。

 そのまま聖路加国際病院方面へ向かう。目的はここ。

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塩瀬総本家 本店

 江戸幕府開祖と主に、本店をこちらに移したという室町時代に出来た老舗中の老舗。実はデパートや通販でも商品は買えるが、生菓子はここ本店とほんの一部でしか取り扱いはない、らしい。
 たまに本店で「本饅頭」というものを買う。何でも長篠の戦いの時に、徳川家康が奉納したという饅頭らしい。時代スケールがすごい。
 とはいえ本店はビルの中のテナントで趣はあまりない。老舗とはいえLINEやサンリオなどのキャラクター饅頭も作っている、敷居の低い和菓子店でもある。

・・・・・

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タグ:築地 銀座
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年の瀬 ~権力者が私物化を始めるとこんなにも醜悪になる、と、あと [雑想]

 今年のクリスマス付近は休日と重なっていたこともあって、いろいろと自由度が高まった。

 ふと思い立ち、銀座に行ってみる。

 鳩居堂か「はいばら」あたりで年賀はがきを買いたい、正月飾りもそこで買いたいと思ったから。

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歩行者天国だった

 行ってみると銀座は歩行者天国で、道の真ん中からゆっくりと街並みを楽しむことが出来る。
 あれれ、中国人(の富裕層)かな。路上でタキシードを着た男性と、白いドレスを着た女性がポーズを撮って、プロカメラマンらしき白人男性が写真撮影をしている。

 昼食を、以前紹介した穴子専門店の「玉ゐ」本店で食事しようとしたら人がいっぱい。玉ゐは近隣にも支店があるけれど、面倒なのでそのまま買い物に。

 松屋銀座デパートの地下に行くと、シャルキュトリーコダマのお店がある。よく成城石井なんかのサラミセットに貼られているラベルに、この会社ロゴを見る。バスク豚の生ハムなんてものがあり、同じくバスク豚のサラミと、ブーダンブラン(白ソーセージ)と鶏のテリーヌを買う。

 うわ一万を超えた・・。まあ、いいか。

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こんな感じで切り、皿に並べてみる

 何かバルで出るような料理ばっかり作っている私である。

 翌日もケーキを買いに立川駅付近へ。バゲットとケーキを買う。久しぶりにチーズフォンデュにしよう。ルクルーゼのフォンデュセットは、もう20年近く前に買ったんだっけ。

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こんな感じの食卓

 買い物に行く前に、鶏肉をスロークッカーにセットしてコンフィを作る。オリーブオイルで3時間ほどゆでてから塩胡椒で焼く。ほろほろになっているものだから焼くのが難しい。
 残ったオイルでササミを軽く煮る。根菜類も忘れずに。

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 ケーキは最近立川のダロワイヨで買うことが続く。一応高級店のはずだけど、それほど高価でもないし、あまり混雑もしていない。それでいて味が悪いわけでもない。

さて

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タグ:年の瀬
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