SSブログ
前の10件 | -

新聞の、読者投稿欄のこと [雑想]

 私はもう40年以上新聞を読んでいる。子どもの頃から自宅には新聞があって、それをざっくり読む癖ができた。一人暮らしをするようになった18歳からは新聞を自分で購読し、よく読んでいた。それは今でも変わらない。

 ここ10年位からは、読者投稿に目を向けることが多くなった。いわゆる「投稿欄」には多くの無名な人々の投稿が掲載され、時にさりげなく有名人が投稿もしていたりする。SNS時代になってからは、時々投稿が引用され拡散されるようにもなった。

 もう5年前になる。

毎年同じ日に投稿していた早乙女勝元氏

「妻が願った最後の『七日間』」2018年3月9日朝日新聞
 朝日新聞に掲載された「1月中旬、妻容子が他界しました。入院ベッドの枕元のノートに『七日間』と題した詩を残して。」から始まる、この非常に切ない内容の投稿はあっという間に大バズリし、書籍にもなったと聞く。この投稿は3月9日朝刊だったが、そのすぐ下の欄には、早乙女勝元氏の投稿「3月10日に消えた声を語り継ぐ」が載っている。つい最近鬼籍に入られた早乙女さんは、ライフワークとなった東京大空襲を語り継ぐために、毎年3月10日付近に朝日新聞に投書を寄せるのだ。そしてそれを同紙は毎年掲載し続けた。

 有名人の意外なエピソードが、当時を知る人々によって語られることもある。

「『お色気』大切 加古さんの一言」2019年3月24日赤旗日曜版
 この日のしんぶん赤旗日曜版の読者コーナー「人生のうた」には1959年に創刊された日曜版と絵本作家のかこさとし氏のエピソードが載っている。
 創刊号に掲載されたブリジット・バルドーをみた当時30代だったかこさとし氏が「共産党さんも考えましたね。お色気というのは大切ですよ。私たちもみんなバルドーさんのこと知ってるじゃないか」と話して大笑いになったことが紹介されている。

 「人生のうた」は比較的高齢の投稿者が多く、考えさせられる内容も多い。

「50銭札盗んで女の子に渡す」2017年10月29日赤旗日曜版
 戦後避難先で「向かいの軒下に十一、二歳の女の子がいて、ボロボロの服にうずくまっていた。」「そっと母の財布から50銭紙幣を盗み・・汚れた手のひらに丸めた紙幣をのせた。」「・・近くのお寺の陽だまりの隅にボロボロの服にくるまり冷たくなった女の子がいた。・・手の中に50銭札があったという。」「母は5年前、99歳で逝った。とうとう母にも話せなかった。『母さん』とつぶやいた女の子の泣き声が心の隅に今も張りついている。」

 京都の福知山市で長らく議員をしていた99歳の平野力さんという方が、よくこの欄に投書をしている。私は彼が90代前半くらいの頃から紙面で名前を見つけ、よく投書を読んでいた。投書の内容は日々の生活だったり、昔の思い出だったり。特にご自身の祖母が駅のことを「ステンショ」と呼んでいたエピソード(2017年11月5日号)、父親が旧制一高や三高の寮歌を歌っていたこと(2020年7月19日号)が印象深い。90代の人物が語る江戸時代生まれの祖母と、抑留から帰国する3か月前に亡くなった父はこの他にもたびたび投書に出てくる。
 平野さんについてはシベリア抑留体験時の記事があるのでリンクを掲載する。

「京都)極寒の抑留生活、語り続ける 福知山の平野さん」

「スターリン時代と変わらない」 77年前のシベリア連行とウクライナ重ねる元抑留者

 上記のほか取材記事としては「しんぶん赤旗(日刊)」2021年8月29日号等にも登場している。

「あばれたのはあの一度きり」2022年11月5日赤旗
 東京都の70代女性の投書は、1年前に亡くなった愛犬「ベルモ」のお話し。「わが家には『ベルモ』という名の大きめの犬がいました。」穏やかで優しいエピソードをつづり「家の中の自分の場所でゆったりと過ごしていました。」
「暴れたのは一度。夫が亡くなって帰ってきた時だけ。お医者さんに安定剤を注射してもらい落ち着きました。」
 ちなみに投書の表題を設定するのは、ほぼ編集部である。私の投書が掲載されたときはそうだった。編集部はこの投稿の「転」であるエピソードを表題にしたのだ。上質な散文詩を思わせるこの投稿に適切な表題を付けている。

 新聞投稿する人は、投稿欄を見ればよくわかるが、高齢者が多い。なので意識的に新聞は若い人の投稿を掲載する傾向がある。

続きを読む


nice!(4)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

電子版の新聞のこと ~Wall Street Journalを購読する [ガジェット]

 新聞が電子化されてきた。日本ではだいたい紙の新聞より若干安く設定され、かつデジタル版限定のコンテンツにもアクセスできるというのが売りのようだ。

 しかし私は電子版の新聞を購読していない。無料版は読むが。
 けれど最近電子版の新聞を購読し始めた。その新聞は「Wall Street Journal(WSJ)」。

The Wall Street Journal日本版
*現状では英語と日本語、中国語が選択可能。Web版ではタイトルの直下のメニューで言語を選択する。

230315wsj1.jpg
アプリ(日本語)画面

230315wsj2.jpg
アプリ(英語)画面

230315wsj3.jpg
Web版(日本語)画面

コンテンツについて 英語はDeepLでほぼ解決

 米国の新聞なので基本は英語なのである。が、WSJは日本語版が用意されている。これが他の英字新聞にはない特徴。しかし日本語版は本国版から翻訳をする関係で、どうしても記事が遅く少なく、最新ニュースは当然ながら英語版が早い。
 英語を読むの最近しんどいのだが、実は新聞の英語はDeepL翻訳との相性が非常に良い。文章の構成が単純でミススペルもほぼないから。
 まあ時々センテンス丸々一つ無視して翻訳されるのが玉にキズだが。

 アプリで記事のテキストを選択して、Androidならそのままワンクリックで翻訳される。超便利。

プリント版(紙版)は実はとても大事

 WSJはアプリに「Print Edition」がある。紙の新聞は、一面に掲載される記事はその新聞社が一番重要と判断した内容になる。これはある程度の年齢の人には常識なのだが、電子版で読んでいると何が重要で何が軽いニュースなのかわかりにくい。プリント版があると、その日の一面は何かわかるので参考になる。
 しかもこのアプリ、プリント版を画面表示させて記事をクリックすると、電子版のように表示される。当然翻訳もワンクリックだ。超便利。

230315wsj4.jpg
プリント版の画面

230315wsj5.jpg
特定の記事をクリックするとこのような記事表示画面に遷移する

WSJの購読を解約したいときは

 WSJの解約はちょっと面倒だ。専用窓口に電話しなければならない(らしい)。
 該当情報も探しにくいので、リンク先もあわせて提示する。

「連絡先 顧客サービス」のページ

対応言語: 日本語/英語
フリーダイヤル: 0120-779-868
Eメール: service@wsj-asia.com
営業時間: 月曜日~金曜日 09:00~17:30(日本時間)※年始年末・クリスマス・祝日を除く
グローバルサポート: https://help.wsj.com/global

AndroidやiPhoneのアプリで定期購読した場合は以下の連絡先となるようだ。

アンドロイドのアプリ:Google
フリーダイヤル: 0120‐950‐065
https://support.google.com/googleplay/answer/7018481

iOSのアプリ:Apple
フリーダイヤル:0120-277-535 / 海外からかける場合:(81) 3-6365-4705
https://support.apple.com/ja-jp/HT202039

*このBlogからではなく常に顧客サービスページを参照の上、お電話をお願いします。

英字新聞の優位性

続きを読む


nice!(7)  コメント(0) 
共通テーマ:ニュース

「超左翼おじさん」の除名の件 ~日本共産党は明らかにやりすぎ [社会情勢]

 なんだかずいぶん昔に見たことがあるような...。90年代の半ばくらいまではこんなものを目にしたが...。

 という印象を持ったのは、最近の「しんぶん赤旗」に良く載る「何かを批判する論文」だ。

規約と綱領からの逸脱は明らか――松竹伸幸氏の一連の言動について

党攻撃とかく乱の宣言――松竹伸幸氏の言動について

「結社の自由」に対する乱暴な攻撃――「朝日」社説に答える

事実踏まえぬ党攻撃 「毎日」社説の空虚さ

 怖い怖い。文体が怖い。セレクトする単語が怖いぞ。

 これ今年2023年の1月に刊行された「シン・日本共産党宣言」という-悪いんだけどちょっと書名のセンスがなあ-という新書の著者にまつわる様々な出来事がその発端になっている。
 「出来事」と書いたが著者の問題ではない。著者の行動に対して共産党がとった反応が物議をかもしているのである。


シン・日本共産党宣言 ヒラ党員が党首公選を求め立候補する理由 (文春新書) Kindle版

 経過としては以下の通りである

・松竹伸幸氏がBlog「超左翼おじさんの挑戦」で持論を展開する。AbemaPRIMEなどにも出演
・2023年1月19日。松竹氏、安全保障や党首公選制を求める意見等が記された「シン・日本共産党宣言」を発刊
・同日松竹氏日本記者クラブで記者会見
・21日しんぶん赤旗にて批判記事(上記リンク参照)
・2月5日、共産党地区委員会が松竹氏除名を決定
・2月6日共産党京都府委員会で松竹氏の除名を承認。組織上除名確定
・同日松竹氏日本記者クラブで記者会見
・7日新聞各紙で報道。その後も社説やコラム等で各紙が除名を批判
・赤旗に連日松竹氏とマスコミの批判記事が掲載される(上記リンク参照)

 まあ、こんな感じなんですが。

 安全保障論について、私は自衛隊に対して、それは軍隊であると考えているし、そもそも暴力装置に対しては活用し、利用する存在と考えている。だから彼が言うように「・・護憲派がこぞって「自衛官を愛し、活かしたい」という考えの上で「だから九条を守る」と言えるなら、その時初めて「九条派」と「自衛隊派」の間に議論が成立するのではないか、と考えたのです。」(サイトSAKISIRU2021年12月記事)とも考えていない。
*サキシルは代表がHanadaに連載持っているような人なのでリンクは貼らない。しかもこの記事、リードに「元共産党の「超左翼おじさん」」って書いてるけど、この時点では共産党員でしょうに。そういうとこだぞ、サキシル!

 「自衛隊」なるものはさ、旧軍の歴史を継続してると公言してるし、歴代幹部がクソ右翼かそれに近いし、講演会に竹田恒泰みたいな皇族を僭称するビジネス右翼を講演会に招くようなクソ組織なんだよね。そこは松竹氏、考えてほしいよね。

 松竹氏は自身で意見を発信するだけではなく、わりかし無節操にこうしたサイトにも登場するものだから、一部の左翼からは共産党を右に引っ張る人物だ、として批判されていた。私の知るところでは、ね。

著書を読んでみる

 まあ何も読まずして共産党中央の意見を垂れ流すのも、よく知らずに中央を批判するのもどうかと思う。赤旗の記事は読んだ。それで「シン・日本共産党宣言」を買って読んでみる。

 ざっくりした感想を言うと、この本は特に共産党がこれまで野党共闘路線で進めてきた諸政策-特に安全保障政策-を、あいまいなままにせず段階論を設定して、その段階にあった政策を明示せよということだ。現段階では自衛隊容認・日米安保維持。実はこれは共産党も前から野党共闘で言い続けている。松竹氏は安保維持だけではなく、核抑止力を除いた専守防衛を提案している。専守防衛については2015年の「戦争法」以前の政策に合致する。
 とまあこんな感じで、共産党のこの間の政策と綱領と規約に沿ったかたちでの提案を行っていると私は読んだ。さすがは長い党歴を持つ共産党員ならではの著作である。
 「党首公選制」もこれまで共産党内で政策として否定しているわけではなく、それを取り上げて発表することは規約違反でもない、としている。これもよくわかる。
*まあでもね。「党首」って言葉を社会党が使い始めたのが90年代半ばで、その時は委員長じゃないのか自民党に合わせたのかと批判があったんだよ結構ね。

なぜ彼が除名になったのか

続きを読む


nice!(5)  コメント(4) 

昔の入院と1980年代の気管支喘息のこと -自己決定権の罠「六歳の原点」を読んでの回想 [雑想]

 さるフェミニストの方が紹介していたので、電子版を購入して読んでいる。小松美彦教授の「『自己決定権』という罠」。


*kindle版 最新版の一つ前


*最新版 電子版なし

 この本の主題とは別に、著者の小松氏が虎の門病院に6歳の頃2週間入院したことを記述しているが、これを読んで思い出す。私も入院していたことがあったのだ。1980-81年に。

入院したこと 1980年。北海道日高地方の大きな病院で

 私は子どもの頃、3度ほど入院した。
 体があまり強くなかったのかよく風邪も引いた。なにより気管支喘息だったので、よく発作を起こしそれが決まって深夜なものだから、翌朝までほとんど眠れず学校を休むことがあった。
 喘息というのは、発作時に気管支が炎症で細くなる病気。横になっていると息苦しくなるので、椅子に腰かけるなどして体を起こすと-ほんの少し-楽になる。でもそうすると眠れない。ほぼ夜が明けるくらいまでまんじりともせず、でもさすがに睡魔に負けていつの間にか眠って目が覚めると朝で、学校に行かなければならないのは結構しんどかった。

 さて、一度目の入院は虫垂炎だった。地域で一番大きな赤十字病院に入院した。小児科病棟はないので女性の8人(6人だったかも)部屋だった。その病院では毎朝6時になるとスピーカーから音楽が流れてくる。起床時間なのである。そして「検温の時間です」というアナウンスが流れ、看護師が病室に入って水銀式の体温計で検温する。水銀式は計測に5分ほどかかるので、看護師は一旦別の患者に対応し、しばらくして戻り体温計を回収していく。昼ご飯は普通の時間なのだが、夕食が早い。午後4時半にもう配膳されるのだ。消灯時間は必ず午後8時。それ以降は起きていてはいけなかった。
 その病院は最上階に売店があって、そこで時間を潰すのが唯一の娯楽だった。なにせ病室にはテレビもないし、音楽も聞けない。ソニーからウォークマンが発売されたくらいの時期だったが、そんな高価なものを小学生が持っているはずもない。もちろん携帯電話もない。公衆電話で連絡するくらいしか通信手段もなかった。
 当時は虫垂炎術後でも7日間ほどの入院が必要だったので、とても暇だった。しかも最終日、抜糸の日だったのだが喘息発作を起こして呼吸器的診療を行い帰宅した記憶がある。

2度目の入院 1981年。田舎のある町立病院のこと

 当時気管支喘息は一応発作時に薬らしいものは飲むこともあったが、あまり効果を感じられなかった。でも発作は断続的にあった。
 月に数度はそんな発作が起こり、時間外に田舎の町立病院に受診した際、対応した医師は不機嫌(*)そうに入院を宣言した。1981年の秋頃だ。こうして私の2度目の入院が始まった。
*現在のレベルの「不機嫌」ではない。明らかに怒っているわけだ。その理由は最後に書く。

女性の6人部屋 とんでもない患者たち

 私は男性だったがまだ小学校高学年だったので、当時田舎の病院で小児科病棟などあるわけもなく、またも女性の病室だった。6人部屋だったと思う。
 前回虫垂炎の時は、他の患者のことなど全く気にならなかったのだが、今回の入院は期間が決まっておらず、両親は数日のつもりだったが半月も入院になってしまった。すると同室内の他の患者も見えてくる。
 当時はベッドネーム部分に名前と、生年月日と年齢、そして入院日が書かれていた。子ども心にぎょっとした。「この人2年も入院してる。あ、あの人は1年も」という感じでやたらと長く入院しているのだ。全員認知症(当時は老人性痴呆と言った)でもなく、スタスタ、とまではいかないがしっかり歩いて元気なのである。何の病気なのだろうと思うとどうやら糖尿病だったり、心臓の何かだったりするらしい。
 年齢は60代後半から80代半ばまでだった。90代はいなかった(*)

 糖尿病の「患者」はこっそり差し入れの大福とか饅頭とか食べているし、正直なんの治療をしているのかさっぱりだった。食後の服薬は皆あったが、それ以外は、検査するでも経過観察するでもないという感じだった。これは私が子どもで見ても分からなかったのもあると思うが、実際投薬以外の治療はしていないだろう。
 そして同室者には、性格がねじ曲がっているのがいた。こそこそ嫌味を言ったり、なにかするたびに文句を言ったりと、そんな人が病室に1~2人はいる。
 面会に小学生の学友が来たり、親が来たりと私のところには頻繁に誰か来る。子どもだったし現代では当然だろうが、どうもそこが気に食わなかったのだろう。長期入院のこうした人には滅多に面会が来ず、たまに来ると同室者の文句ばかり言っている。で私が何かするとぶつぶつ小言を言っている。
 私にはそれが不快で仕方なかった。
 穏やかで優しい人も入院するが、そんな人に限ってすぐに退院してしまっていた。

 思うに、口さがない言い方すると家族に疎まれて入院させられちゃってるのかな。本人それを自覚しているから性格がねじ曲がったのか。それとも性格が悪いから「捨てられた」のか。
 まあ今更どっちでもいいや。そんな人が当時はいた。「社会的入院」というやつだ。これが全国共通かは知らないが。

*60代後半をなぜ覚えているかというと、「私は70歳なのよ。だから老人医療使えるはずなのよ」と何度もグチっていたから。あまりにもグチが多かったので覚えている。1981年頃の60代は子どもの頃数えで年齢を呼称するから70歳といっても満年齢では68-69歳になる。この頃は老人医療費が無料だった時代なので、対象なら入院医療費も無料だったはずだ。食費も同様。ちなみにこの人も性格が悪かった。

続きを読む


nice!(6)  コメント(0) 
共通テーマ:健康

喫茶ルーブルと喫茶室ルノアールと菊屋ビルディングのこと [雑想]

 立川市に「菊屋ビルディング」という古いが大きなビルがある。建築年代は1970年代後半くらいだろうか...と思って調べたら1969年だった。通りに面した1階の食器店が菊屋で、自社ビルのようだ。

20230129kikuya1.jpg
菊屋ビルディング全景

 クラシックなエスカレータで2階に行くと、これまた道路に面したエリアの多くを使った喫茶店「喫茶ルーブル」がある。入ってすぐに、分かる人には分かると思うがここは10年ほど前までは「喫茶室ルノアール」だった。ルノアールが撤退したときに、そのまま居抜きでルーブルが引き継いだということのようだ。メニューすらほぼ同じだったりする。

20230129kikuya2.jpg
クラシックなエスカレータと照明、そして飛び出したスプリンクラー(証明と照明の間にあるオブジェのようなもの)が時代を感じさせる

20230129kikuya3.jpg
ルノアールから引き継がれた独特なソファとイス

 コーヒーはブレンドとアメリカン(*)。他にもいくつかドリンクメニューがあるが、頼んだことがないのでよく覚えていない。
 午前中11時30分まではモーニングメニューがあり、ドリンクに追加で80円から130円出すと金額に応じてトーストや卵サンドイッチ、スープなどが付いてくる。このモーニングのコスパがすごく高い。コーヒーを飲み終えてしばらくすると、店員が熱いお茶を持ってくる。この通りコーヒー一杯で長く居続けることも可能。クラシックなサービスでゆったりと時間を使える、それがルノアールでありルーブルであった。
*知らない人も増えていると思うので注記するが、「アメリカンコーヒー」とは薄いコーヒーのことである)

20230129kikuya4.jpg
ブレンドコーヒーとモーニングBセット

 「喫茶室ルノアール」は都心に多くあり、外回りの会社員などが多く利用しているイメージがある。立川にも菊屋ビルの他、北口と南口にそれぞれ一軒ずつあって、北口のそれはビル建て替えに伴い閉店しているので、今は南口に一軒だけとなっている。

 こんな形態なので、客層は年齢高め。時々年寄りが集まっておしゃべりに興じていることもあるが、多くの場合店内は静か。特に朝はそうだった。

私にとってのビジネススクール(ただし自習)

続きを読む


nice!(5)  コメント(2) 
共通テーマ:地域

コロナウイルスとコロナワクチンとの個人的な体験 [雑想]

 新型コロナウイルス感染症が猖獗を極めた12月、とうとう私(と家族)も感染してしまった。コロナウイルスに。

経過と感染状況

 まず上の娘が感染した。感染前は満員電車で通学したりライブに行ったり私とアウトレットに行ったりしていたが、どこで感染したかはもうわからない。幸い娘の部屋は隔離にちょうどよく、他の家族との導線が重ならない場所になっていた。とりあえず5年ばかり前に買ったシャープ製の空気清浄機を置いた。隣接するトイレには紫外線(254nm)殺菌装置を置いた。
 翌日近隣の発熱外来の予約が取れ、屋外でPCR検査。予想通りコロナウイルス陽性だった。発熱は39度くらいで、アセトアミノフェンを随時飲んでいたこともあり、数日で平熱に戻ったようだ。大学へ私が連絡し、その後スマートフォンから自分で各種登録を行っていた。

 私の自宅は幸いなことにペットボトルの水が大量にあり(年末なのか安かった)、食品の備蓄はそれなりにあるためさほど困らなかった。それでも私が2度ほど外出して買い物をした。

 しかし。

 娘の発症から3日後、妻が発症した。翌日の発熱外来受診で陽性であった。その3日後私も発熱した。私はもう面倒なので発熱外来は受診しなかった。だから私は患者数にカウントされていない。
 私たち夫婦の感染源は間違いなく娘であって、二人で食事や身の回りの品を届けたり片付けていたので、気を付けてはいたが感染した。・・正直言うと私はそんなに気を付けていなかったけど。

 一時私は二人を看病しつつ下の娘の学校準備などしていたが、私が発症してからは一転、私が部屋に隔離され、他の人が食事だけ用意するようになった。娘もオムライスなど作ってくれた。発症日を発熱の前日と想定し、症状改善もありクリスマス前には隔離解除とした。

 下の娘は病人に近寄らせなかった。そのためかこんなに感染力が強いにもかかわらず、感染しなかった。

私自身の経過
(50代男性・気管支喘息・アレルギーあり・脂質異常症(未治療)・心電図検査で時折異常あり)

 私の症状はさほど重くはなかった。一応ぜんそくとアレルギーがあるので重症化リスクはやや高めのはず。が、発熱も39度になったのが一日だけ。それも私自身は気が付かずパソコン操作していると、顔が赤いと妻が心配して測定し出た数値だった。
 呼吸器系も咳が時折ひどく出る以外はまったく問題なし。血中酸素濃度(これも一昨年中国製のものを購入済み)も一貫して正常だった。
 私の場合、症状はインフルエンザとほぼ同等だった。ただし2017年くらいまでおそらく毎年感染していたインフルエンザは、発熱は37度くらいで咳等の症状はほとんど出なくなっていたが。

 隔離中、時間を持て余している人が多いと聞くが、私は部屋の中で様々できるように環境を調整しており、本も大量にあるしオーディオ環境も整っているので全く困らなかった。動かないので空腹にもならない。

 東京都などから物資をもらったという報告があるが、私は申請しなかった。食品はとりあえずあるし、そもそも陽性者登録には検査結果の添付が必要だったはず。結果は電話でもらっているため医療機関まで取りに行く必要がありそうで、発熱外来がパンクしている現状ではそのようなストレスを医療機関に与えたくないとの私の配慮もある。

コロナウイルスワクチンのこと ~ささやかな後遺障害と思われるもの

 コロナウイルスワクチンは昨年1月末に3度目を接種済み。私の家族も夏までに3回ワクチンを接種済みであった。私はファイザー・ファイザー・モデルナ。他の家族は3回ともファイザーであった。

続きを読む


nice!(3)  コメント(0) 
共通テーマ:健康

よく考えるとこの社会はとんでもないことになっていたようで ~2022年を振り返る [雑想]

今年もようやく終わる。簡単に振り返る。

 今年2022年の大きな話題と言えば、やはり安倍晋三が殺されたことが大きい。個人の存在が大きいとかではなくその死後に起こった諸々の案件が非常に大きかったということだ。

・彼の死後統一協会(*)がクローズアップされた。
*私は「教会」と表記しない
・・実行犯が統一協会の二世で、自死すら行うほどに追い込まれていたこと。
・・政治家と統一協会との癒着が明るみになったこと。その過程でいわゆる「ネトウヨ」層に統一協会員が少なからず組み込まれていたことが発覚したこと。
・・多くの統一協会を扱ってきたジャーナリストや学者が、マスメディアへの出演や著作の発刊などで日の目を見たこと。

 これは私たち政治に目を向けている層からすると昔から知られていたことで、近くの自治体八王子市の議員「萩生田」などは地方議員の時代から統一協会との関係が深い(*)ことで有名だった。
*我々はこのような人物を「勝共系」と呼んでいた。
 そして統一協会への日本国民の忌避感が、これほどまでに強いものであることが明らかになったこと。やはり元首相の暗殺という契機があったにせよ、私自身ここまで統一協会を憎む世論があったのだということを改めて実感した。もはや統一協会とそのダミー団体(勝共連合とか世界平和教授アカデミーとか勝共UNITEとか)は表立って活動はできまい。これは一つの進歩ともいえよう。

 すっかり有名になった鈴木エイト氏は、やや日刊カルト新聞で10数年前から統一協会関係の記事を書いているのを目にしていた。サイトを主宰している藤倉氏ともちょっと違い、誠実な筆致に関心もしていた。そして何より情報が入りにくくなっていた統一協会関連の記事を出し続けていることをありがたく思っていた。それが連日のようにテレビ出演をするなど隔世の感がある。
 こうして地道に取り組んでいるジャーナリストが日の目を見るのはうれしい。

 自民党や右翼系政治家がここまで統一協会と関係している、ある者は信者ですらあるという事実を私たちは決して忘れず、このような破壊的カルトがなぜ政界に浸透しているのか、それを許している政治勢力は何の意図があってそうしているのか、2012年からの自民党政権でそれが一層強化され、その中核に安倍晋三らがいたことを考えたい。
 そしてそれらを決して許さない、自民党を決して許さない世論喚起が重要なのだと改めて思う。

そして..。

・世論の批判のもと開催された東京オリンピックが、泥沼の利権構造であることが明らかになったこと。

 これも考えたい。安倍晋三が直々に「絶対に逮捕されないようにする」と明言していたこと。そしてその重しが取り除かれ、元電通の大物らが逮捕され、全容がこれから明らかにされようとしている。

・・・・・

 民主国家において、暗殺は効果が低いとされる。権力者を倒しても権力構造はそのまま残り、政治体制は揺るがないのが通常だからだ。
 しかし安倍晋三の死とともに噴出したこれらの問題を見ていると、日本とは本当に民主国家だったのだろうかとの疑念を抱かざるを得ない。

 かつて日本は「経済は一流、政治は三流」などと言われていた。バブル絶頂期当たりの頃だ。
 すでに経済は30年間停滞し、昨今特に(これも安倍が死んでから顕著なように思うが)日本の賃金が上がらず、経済が停滞し続けていることと、今年顕著になったインフレで生活が厳しくなっていることがよく報道されている。

 政治はますます劣化し、経済はすでに三流になり、その流れが加速した2012年以降の自民党政治。それに深くかかわっていたのが破壊的カルト組織統一協会。
 それが白日の下にさらされたのが安倍晋三の死だとは、何とも日本社会の劣化とはここまで来てしまったのかと慨嘆せざるを得ない。
 安倍政権というものがどれほど狂っていたのか、そこからの回復にどれほどの時間がかかるのか、それを考えるに野党となった後自民党が極右化したことで、この国に与えたダメージがどれほど大きかったのかを考えたい。


Twitterのこと

 安倍政治との関連を考えるにTwitterも挙げておきたい。私個人は今年からTwitterを少しやるようになって、何度か「バズり」というものも体験した。それを契機にフォロワーも増えた。

続きを読む


nice!(5)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

宗谷本線を普通列車で 札幌~旭川~名寄~稚内 [旅行]

 11月、医療情報学会大会に参加するため札幌へ向かう。何やら全国旅行支援とやらがあって、やけに安価に宿泊予約ができた。航空券はANAマイレージ特典で確保・・行きの羽田-新千歳行は取れた。あれ?最終日が全便満席になっている。困ったな。じゃあここ数年考えていた宗谷本線に乗ろう。しかも鈍行で。最終日翌日・月曜日の稚内-羽田便はすんなり取れた。

 さて札幌だ。2006年以来の新千歳空港に着く。札幌に向かう電車の窓が汚いことが気になった。

20221220hokkaido1.jpg
車窓がほぼ見えない

16年ぶりの札幌

 札幌駅に着くと、ホテルチェックインまでは時間があった。大丸札幌店に行くと本土ではすっかり有名になったLeTAOで、店舗限定のクリームパンを限定販売していた。代表製品のドゥーブルフロマージュと同じもののようだが、冷凍などされておらず食感はふわふわだった。

20221220hokkaido2.jpg
平日15時なのに20分程度で売り切れた

 2006年、このBlogに当時のことを書いた。そこからさらにさかのぼること17年前、1989年に私は札幌に住んでいた。2006年頃は札幌の変化は駅前くらいであまり変化はなく、当時通っていた店も結構残っていた。しかし今行くと狸小路のコーシカも、北大そばの薫風書林もなくなっていた。そもそも大学そばの古本屋自体がずいぶんなくなってしまったように思う。そりゃそうだ。国立の一橋大学付近の古本屋もかなりなくなった。

医療情報学会の大会に参加するついでに-懐かしい札幌のこと

 2006年では、まだスマホもなくケータイでやり取りしていた。FAXも各家庭で現役。LINEもTwitterもInstagramも、Youtubeもまだないか、サービスの初期段階だった。
 そして1989年当初よく利用し、33年後も健在だった南海堂書店とコープ北12条店で33年ぶりの買い物をする。

20221220hokkaido3.jpg
東急のこの大きな看板も昔からあるよなあ

20221220hokkaido4.jpg
時計台は結構きれい

 日本三大がっかり観光地なんて呼ばれている時計台だが、写真スポットも設置され、そもそも古い建物なので見ごたえもある。入場料も200円と安い。観光客もそこそこいる。
 大通り近辺を久々に回り、丸井今井デパートでウインドーショッピングをする。前回は立ち寄らなかったので33年ぶりの来訪になる。当時道内ではまだ珍しかったアニメグッズの店が書籍コーナーに併設されていて頻繁に立ち寄っていたが、今はもうない。

20221220hokkaido5.jpg
2006年もお邪魔した清華亭。順調にすすけている

 札幌にはこの清華亭のような明治時代からの建物がいくつかあり、こうして中に入れるのだが、最後に訪れてから16年。しっかりその分すすけている。

20221220hokkaido6.jpg
パセオ跡地

 1990年初頭に札幌を去る際に開業した駅直結の商業施設パセオ。今年の9月末で閉店し、今や通路のみとなっている。これが出来た頃はバブル経済真っ盛りで札幌も今よりはるかに活気があった。そう感じるのは私が年を経て若さに特有の活気が薄れている以上に、社会が沈滞してしまっていることもあるのだろう。
 30年の経過とは恐ろしい。ちょうど一世代分の経験が失われてしまうほどの時間なのだから。そして30年間成長しない国家で生きていく国民を生み出した。ここ10年間は安倍政権とその後継がそれらをより悪化させてしまったことも考えたい。

いよいよ稚内へ

 学会参加も終わり、さあこれから稚内行だ。いろいろ計画を立ててみると、すべて鈍行だと一日で札幌から稚内にたどり着くのは早朝6時出発となる。これはしんどいので午前10発のライラックで旭川まで行き、旭川-名寄、名寄-稚内の普通列車ルートをとった。
 北海道に住んでいたのだが特急「ライラック」に乗るのは初めてだ。1980年にL特急ライラックが始まったニュースをちょっと覚えている。
 札幌駅のみどりの窓口で切符を買う。「札幌から稚内までの普通乗車券と、旭川までの特急券を」というと、駅員が心なしかニコニコしている。そりゃそうだろうなあ。

続きを読む


nice!(2)  コメント(0) 
共通テーマ:旅行

マイナンバー関連システムを無邪気に信頼していいものだろうか ~第42回医療情報学連合大会(JCMI42) [医療情報技師というお仕事]

20221130jcmi1.jpg
会場の札幌コンベンションセンター

 表題の学会大会へ2017年以来5年ぶりの参加。

 今回初日(実際は11月17日から開始しているが、開会式が18日だったので初日を18日とする)は1日いっぱい会場の札幌コンベンションセンターでの参加。MRIなどの画像・動画をAIで解析し、手動での調整を簡素化するなど、放射線技師や医師の業務支援をするシステムや、画像解析データを蓄積しAI解析でアルツハイマー型認知症とレビー小体型認知症のAIによる初期鑑別をするもの、またWebを使用した精神疾患のAI診断サービスなどがあった。
 久しぶりに参加したので私も質問をしてみたりする。

 午後はランチョンセミナー(マイクロソフト)に参加した後、「日本の医療に期待される今後の遠隔医療について」参加。お恥ずかしいながら遠隔ICUというものを知らなかったので、役に立ちました。

20221130jcmi2.jpg
ホテルでのリモート環境。10.5インチだが意外に快適

 2日目はホテルからリモートでの参加に切り替えた。
 リモートにしたのは、この会場、Ciscoのwebexを使っており、その感覚と運営状況を参考にしたかったのと、久しぶりに革靴-それもイタリアのマッケイ製法の-を履いて行ったら見事に足を痛めてしまったから。
*イタリアの靴ってなじむととてもいいんだけど、必ず一度は足を痛めるんだよなあ。
 閑話休題。

 で、2日目。北海道における医療介護の情報共有システムについて。名寄と函館の病院から連携システムの経験について解説。
 うむうむそうだよなと共感しつつ聞いていると、その中で地域医療連携との関係からマイナンバーカードと医療情報との連携に加えて、早く介護保険も連携させよという意見が見られた。学会長・大会長講演でもマイナポータルなどに好意的な視点があった。自民党の「医療DXシステムビジョン」なるものの紹介もあった。
 確かに一元化できれば本当に便利になるし、それは疑いないことだと思う。情報共有でアセスメント情報などは各人がいちいち全部患者・利用者に聞く必要がなくなるのなら。あれ聞く側も聞かれる側も手間なんだよね。でも、うーん。


 ん~、でもちょっと無邪気に過ぎるんじゃないかと思う。

私たちは医療情報を一元化していいような国に暮らしているのだろうか

続きを読む


nice!(4)  コメント(0) 
共通テーマ:仕事

鬼怒川温泉でワーケーションというものをしてみた [旅行]

20221115kinugawa1.jpg
鬼怒楯岩大吊橋からホテルサンシャイン鬼怒川を望む

 コロナ情勢で急速にお仕事がテレワーク化された。以前「『Zoom』というソフトがどうやらリモート会議では使いやすいらしいよ、動作も軽いし。じゃあ誰も使ったことないからマニュアル作ってみようか」..なんて検討をしていたほんの5年前がウソのようである。
 それに合わせて「ワーケーション」なるワークとバケーションを合わせた造語で、観光地で宿泊し仕事はリモートで行うというのも一部で流行り始めた。いや流行ってるのか?というのは置いといて。
 ワーケーションではないが、ちょうど2年前、東京駅近傍で会議があった際、そのまま銀座でちょっとハイクラスのホテルに泊まったら、同僚から羨ましがられたっけ。リモート参加も可能だったので、iPadでリモート参加しても良かったんだよな。

Otell.comでワーケーションプランを

 さて、最近「Otell.com」というサービスが始まった。なんでもワーケーションをテーマに2泊から4泊とやや長期間連泊するプランを安価に設定し予約できるサイトだった。主に平日でのプラン提供(仕事なので)もあって、気軽に使ってみようと言うには敷居が高目。ただ私は一線から退いているので時間の自由度が高く、この手のものには参加しやすい。というわけでやってみる。「ワーケーション」を。

 宿泊地は栃木県の鬼怒川温泉。鬼怒川に決めたのは、ズバリ価格が安かったから。そして温泉地だったから。月〜金の4泊希望だったが予約できず火曜から3泊。費用は素泊まりだが2万弱(消費税込。入湯税は150円/日で別会計)。実はこの価格ならちょっと先の川治温泉とかではありそうだが、ワーケーション用に設備も整っているだろうと判断し決めた。

 宿泊地は「ホテルサンシャイン鬼怒川」という鬼怒川温泉郷の手前(南)にある14階建てのホテルである。
 ホテルは80年代くらいの建築だと思う。すすけた部分はあるものの、よく手入れされており状態は良好。ホテルのすぐ裏には歩行者専用の吊り橋「鬼怒楯岩大吊橋」がある。観光客の出入りが平日にもそこそこある。
 駐車場は広いのだが到着当日はほぼ満車だった。従業員に聞くと本日は「ほぼ満室です」。あれ、鬼怒川ってちょっと寂れていたんじゃなかったっけ。駐車場が満車の場合はホテルに相談すると空いている場所を用意してくれるようだ。
 受付で手続きすると、栃木県内で使えるクーポン券を3泊分9000円ももらう。この他に全国旅行支援の対象となっているため宿泊費の40%が助成される。そのため実質的にほぼ無料なのである。

20221115kinugawa2.jpg
部屋は広くて仕事もしやすい

20221115kinugawa3.jpg
作業机からみた景色。手前に庭石がある

20221115kinugawa4.jpg
ビデオ会議で案外重要な背景(作業机の反対側)。これならミーティングで背景ぼかしがなくても問題ないだろう。奥に棚があるので花瓶とか茶道具置いてもいいかも

20221115kinugawa5.jpg
FNATICゲーミングキーボードをUSBケーブルでタブレットに繋ぐ。Bluetoothキーボードのような僅かなラグもない

 ワーケーションプランとはいえ、現在の私にそのような仕事の課題があるわけではなく、仕事をシミュレーションして今後に生かすのが目的。実際のところはたまりにたまった自宅の本を読んで、読書感想を記録していくというもの。だが写真の構成で十分ビデオ会議や資料のリモート閲覧は可能なはずだ。
 部屋写真の通り昔ながらのホテルの間取りを利用して、広縁に仕事場を置き、宿泊場所とは区切られている。

無線LANがなあ・・・

続きを読む


nice!(2)  コメント(0) 
前の10件 | -

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。