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新聞の、読者投稿欄のこと [雑想]

 私はもう40年以上新聞を読んでいる。子どもの頃から自宅には新聞があって、それをざっくり読む癖ができた。一人暮らしをするようになった18歳からは新聞を自分で購読し、よく読んでいた。それは今でも変わらない。

 ここ10年位からは、読者投稿に目を向けることが多くなった。いわゆる「投稿欄」には多くの無名な人々の投稿が掲載され、時にさりげなく有名人が投稿もしていたりする。SNS時代になってからは、時々投稿が引用され拡散されるようにもなった。

 もう5年前になる。

毎年同じ日に投稿していた早乙女勝元氏

「妻が願った最後の『七日間』」2018年3月9日朝日新聞
 朝日新聞に掲載された「1月中旬、妻容子が他界しました。入院ベッドの枕元のノートに『七日間』と題した詩を残して。」から始まる、この非常に切ない内容の投稿はあっという間に大バズリし、書籍にもなったと聞く。この投稿は3月9日朝刊だったが、そのすぐ下の欄には、早乙女勝元氏の投稿「3月10日に消えた声を語り継ぐ」が載っている。つい最近鬼籍に入られた早乙女さんは、ライフワークとなった東京大空襲を語り継ぐために、毎年3月10日付近に朝日新聞に投書を寄せるのだ。そしてそれを同紙は毎年掲載し続けた。

 有名人の意外なエピソードが、当時を知る人々によって語られることもある。

「『お色気』大切 加古さんの一言」2019年3月24日赤旗日曜版
 この日のしんぶん赤旗日曜版の読者コーナー「人生のうた」には1959年に創刊された日曜版と絵本作家のかこさとし氏のエピソードが載っている。
 創刊号に掲載されたブリジット・バルドーをみた当時30代だったかこさとし氏が「共産党さんも考えましたね。お色気というのは大切ですよ。私たちもみんなバルドーさんのこと知ってるじゃないか」と話して大笑いになったことが紹介されている。

 「人生のうた」は比較的高齢の投稿者が多く、考えさせられる内容も多い。

「50銭札盗んで女の子に渡す」2017年10月29日赤旗日曜版
 戦後避難先で「向かいの軒下に十一、二歳の女の子がいて、ボロボロの服にうずくまっていた。」「そっと母の財布から50銭紙幣を盗み・・汚れた手のひらに丸めた紙幣をのせた。」「・・近くのお寺の陽だまりの隅にボロボロの服にくるまり冷たくなった女の子がいた。・・手の中に50銭札があったという。」「母は5年前、99歳で逝った。とうとう母にも話せなかった。『母さん』とつぶやいた女の子の泣き声が心の隅に今も張りついている。」

 京都の福知山市で長らく議員をしていた99歳の平野力さんという方が、よくこの欄に投書をしている。私は彼が90代前半くらいの頃から紙面で名前を見つけ、よく投書を読んでいた。投書の内容は日々の生活だったり、昔の思い出だったり。特にご自身の祖母が駅のことを「ステンショ」と呼んでいたエピソード(2017年11月5日号)、父親が旧制一高や三高の寮歌を歌っていたこと(2020年7月19日号)が印象深い。90代の人物が語る江戸時代生まれの祖母と、抑留から帰国する3か月前に亡くなった父はこの他にもたびたび投書に出てくる。
 平野さんについてはシベリア抑留体験時の記事があるのでリンクを掲載する。

「京都)極寒の抑留生活、語り続ける 福知山の平野さん」

「スターリン時代と変わらない」 77年前のシベリア連行とウクライナ重ねる元抑留者

 上記のほか取材記事としては「しんぶん赤旗(日刊)」2021年8月29日号等にも登場している。

「あばれたのはあの一度きり」2022年11月5日赤旗
 東京都の70代女性の投書は、1年前に亡くなった愛犬「ベルモ」のお話し。「わが家には『ベルモ』という名の大きめの犬がいました。」穏やかで優しいエピソードをつづり「家の中の自分の場所でゆったりと過ごしていました。」
「暴れたのは一度。夫が亡くなって帰ってきた時だけ。お医者さんに安定剤を注射してもらい落ち着きました。」
 ちなみに投書の表題を設定するのは、ほぼ編集部である。私の投書が掲載されたときはそうだった。編集部はこの投稿の「転」であるエピソードを表題にしたのだ。上質な散文詩を思わせるこの投稿に適切な表題を付けている。

 新聞投稿する人は、投稿欄を見ればよくわかるが、高齢者が多い。なので意識的に新聞は若い人の投稿を掲載する傾向がある。

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