女性宇宙飛行士50年 ~ヴァレンチナ・ウラジミーロヴナ・テレシコワ [雑想]
今日6月16日(日)は、「父の日」とかいうものにかこつけて、色々なものを売りつける日なのだが、実は非常に大事な記念日でもある。
それはちょうど50年前の1963年6月16日、女性が初めて宇宙周回軌道に到達した日なのだ。
女性宇宙飛行士、ヴァレンチナ・ウラジミーロヴナ・テレシコワ(Валенти́на Влади́мировна Терешко́ва)の飛行については、下記のサイトが詳しい。
ロシア宇宙開発史 Russian Space Anthology
ロシア宇宙開発の各トピックスを非常に良く、しかも読み物としても大変面白くまとめられています。
テレシコワについては以下のリンク
(1) ヤー・チャイカ! テレシコワの見た宇宙 (ボストーク6号)
「チャイカ(ロシア語でカモメのこと)」とはテレシコワのミッションにおけるコードネーム。昔の子ども向け本にはガガーリンといえば「地球は青かった」、テレシコワといえば「私はカモメ」だった。
なんだこりゃ、と思ったことを思い出す。上記の記事を読んで合点がいった。コードネームだから「ヤー・チャイカ」と初めにいうのだ。「こちらカモメ。基地応答願います」みたいな感じだろう。
テレシコワは女性初の宇宙飛行士のみならず、世界で初めて宇宙に人を送り込んだヴォストークロケットでの最後の搭乗者でもある。ヴォストークは地球に帰還時、パラシュートで減速するのだが、最終シークエンスで宇宙飛行士を機外に射出してしまう。その後パイロットはパラシュートで地上に降りるのだ。これじゃ普通の人にはとても無理。
さて、上記サイトの内容を見ると、どうもテレシコワは大変な「宇宙酔い」に悩まされたとのこと。これはソ連崩壊まであまり知られていなかった事実のようだ。「宇宙酔い」には、世界で2番目に飛行したチトフ飛行士も悩まされていたことが有名だが、テレシコワのそれが秘匿?されていたのは、ぜひ本文をごらんいただきたいと思う。
宇宙酔いの話題を、今はあまり聞かないのは、訓練法が洗練されたからなのだろう。
上記テレシコワの「逸話」だが、2012年に出た「ロシア宇宙開発史: 気球からヴォストークまで」によると、ちょっと内容が違うようだ。
以下該当部分を引用する。
いささか信頼度の低いWikipediaでは
とあり、これが事実なら当時、極限状態の中で胸の奥にしまっておかなければならない秘密に、悩まされていたとも言えるのかも知れない。
テレシコワは76歳で現役の下院議員。長らくソ連共産党の要職を務め、現在ではプーチンの統一ロシアに所属しているそうだ。政治的な手腕というか嗅覚には長けている人なのだろう。
女性初の宇宙飛行から50年 テレシコワさんに勲章授与(朝日新聞:6月16日)
それはちょうど50年前の1963年6月16日、女性が初めて宇宙周回軌道に到達した日なのだ。
女性宇宙飛行士、ヴァレンチナ・ウラジミーロヴナ・テレシコワ(Валенти́на Влади́мировна Терешко́ва)の飛行については、下記のサイトが詳しい。
ロシア宇宙開発史 Russian Space Anthology
ロシア宇宙開発の各トピックスを非常に良く、しかも読み物としても大変面白くまとめられています。
テレシコワについては以下のリンク
(1) ヤー・チャイカ! テレシコワの見た宇宙 (ボストーク6号)
「チャイカ(ロシア語でカモメのこと)」とはテレシコワのミッションにおけるコードネーム。昔の子ども向け本にはガガーリンといえば「地球は青かった」、テレシコワといえば「私はカモメ」だった。
なんだこりゃ、と思ったことを思い出す。上記の記事を読んで合点がいった。コードネームだから「ヤー・チャイカ」と初めにいうのだ。「こちらカモメ。基地応答願います」みたいな感じだろう。
テレシコワは女性初の宇宙飛行士のみならず、世界で初めて宇宙に人を送り込んだヴォストークロケットでの最後の搭乗者でもある。ヴォストークは地球に帰還時、パラシュートで減速するのだが、最終シークエンスで宇宙飛行士を機外に射出してしまう。その後パイロットはパラシュートで地上に降りるのだ。これじゃ普通の人にはとても無理。
さて、上記サイトの内容を見ると、どうもテレシコワは大変な「宇宙酔い」に悩まされたとのこと。これはソ連崩壊まであまり知られていなかった事実のようだ。「宇宙酔い」には、世界で2番目に飛行したチトフ飛行士も悩まされていたことが有名だが、テレシコワのそれが秘匿?されていたのは、ぜひ本文をごらんいただきたいと思う。
宇宙酔いの話題を、今はあまり聞かないのは、訓練法が洗練されたからなのだろう。
上記テレシコワの「逸話」だが、2012年に出た「ロシア宇宙開発史: 気球からヴォストークまで」によると、ちょっと内容が違うようだ。
以下該当部分を引用する。
「・・飛行二日目から、チャイカの応答が正常ではなくなった。疲れたのか、無重量状態で気分が悪くなったのか、聴いてもはぐらかされた返事が戻ってきた。」 「(ここからゴロヴァノフの言葉)・・チトフの忠告に従って、彼女はできるだけ頭を動かさずに静かに座っていることにしたが、この状態が気に入らなかった。家に帰りたかった。ヴィコフスキーが彼女の声を聴いたとき、彼女は泣いているように思えた。・・カマーニンが何があったのかと聞いたが返事がなく、起床の合図をならし「どうした。何故、通信に応答しない?」と質問した。「寝入ってました。ひどく疲れて眠っていました」「何故、手動制御降下の訓練をやらなかったのか?」「やろうとしたけれどうまくゆきませんでした。たいへん疲れました。少し休ませてください。あすの朝全部やります。すべてうまくいくでしょう」。」 「結局、テレシコワが手動方向制御の課題を実行したのは19日朝になってからであった。自動着地シーケンス開始の信号は、両者に同時に送られた。・・テレシコワからは前後二時間以上にわたって何の報告もなかった。」 地球帰還後「(ここからチェルトクの言葉)本当のところ、何があったのかを「チャイカ」に聴こうということになった。ようやくテレシコワに対して切り出したとことにコロリョフ(ソ連宇宙開発の大家、というか暴君:mosel注)が入ってきて10分間ほど彼女と話をさせてくれといって連れ出した。10分は30分になった。戻ってきたテレシコワは目を泣き腫らしていた。ラウシェンバハが質問を切り出したが、彼女は今にも泣き出しそうだった。何度か質問を繰り返したとどのつまりは、テレシコワを我々の尋問から解放せざるをえなくなった。・・」
いささか信頼度の低いWikipediaでは
「制御プログラムのエラーのため宇宙船が軌道から下降すべき時に上昇してしまっていたことが明らかとなった。テレシコワは飛行の初日にその事態に気づき、コロリョフに報告した。そのミスは適切に直され、彼女は無事に帰還することができた。宇宙船の設計も担当したコロリョフの要請によって、テレシコワはその後何十年もその事実を隠した。(引用終わり)」
とあり、これが事実なら当時、極限状態の中で胸の奥にしまっておかなければならない秘密に、悩まされていたとも言えるのかも知れない。
テレシコワは76歳で現役の下院議員。長らくソ連共産党の要職を務め、現在ではプーチンの統一ロシアに所属しているそうだ。政治的な手腕というか嗅覚には長けている人なのだろう。
女性初の宇宙飛行から50年 テレシコワさんに勲章授与(朝日新聞:6月16日)
「ヤー・チャイカ(私はカモメ)」。世界初の女性宇宙飛行士ワレンチナ・テレシコワさん(76)が、宇宙からこう交信してから16日で50年になる。ロシアのプーチン大統領は14日、公邸に招いて勲章を授与した。(引用終わり)」
テレシコワさんも76歳ですか!「私はカモメ」記憶に新しいです。
あのホリエモンも収監前に宇宙に行くとか言ってましたね。
岩城晃一も自費で行くとか。
何れにしろ、勇気と、体力と、お金がなくては出来ませんね。
by ponnta1351 (2013-06-16 19:21)
ponntaさんこんにちは。
70年代、子どもの頃に呼んだ本では、もうとっくに月への定期便が就航していたはずなのですが。
岩城晃一が行くという民間の宇宙旅行ですが、高度10万メートル程度の弾道飛行ですからね。これって2000年頃から、やるやると言い続け、ようやく来年に初飛行。
宇宙へ行くのって、本当に大変なんですね。
ソ連では6人目。世界でも10人目のフライトだったテレシコワは、パイオニアとして素晴らしい働きをされたと思っています。
by Mosel (2013-06-17 06:51)