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アフガニスタンの仏像は破壊されたのではない 恥辱のあまり崩れ落ちたのだ ~10年前のあの日 [雑想]

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東京駅に到着したサンライズ瀬戸 2001年9月11日午後10時(日本時間)

 あれから10年か。ぼんやりしてたらもう一週間たってしまった。

 ちょうど10年前のあの時、私は東京駅にいた。寝台列車サンライズ瀬戸の個室に入って、何気に携帯をみると、友人からメールが入っている。

 アメリカで飛行機がビルに突っ込んでいると。

 とっさに思う。軽飛行機か何かか、なんでこんな事故が起こるんだ。まああそこは軽飛行機も多いし、万が一にはあり得るかな、と思った。
 いやその後の情報で「B767」とかいう飛行機だとのこと。頭が真っ白になった。中型旅客機がビルに突っ込むなんて大惨事だと。いやその前にそんなことがあり得るのか、と思った。ウソだろう。冗談も休み休み言え。
 複数の旅客機がハイジャックされ、次々と墜落している、そして10機以上の旅客機が連絡が取れずにいると。

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疲れ切ったサラリーマン 確か平塚あたり 2001年9月11日深夜

 当時の携帯についていたIR通信で手持ちのPDA、PALMIIIにアクセス。朝日やCNN、NYTIMESなどのサイトにアクセスするが、これが異常に重い。接続状態の悪さから、何か異常事態が起こっていることがわかった。友人からDFLPというパレスチナゲリラの仕業ではとニュースで報じられていると聞いた。100%あり得ない。DFLPは弱小組織だ、こんな単純なことすら分からない「識者」がいるのか。相当混乱している様がうかがえた。

 サンライズ瀬戸を下りて、坂出駅に到着。ニュースを確保しようと駅構内のキオスクに行く。

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坂出駅前の商店街 2001年9月12日早朝

 新聞が、ない。飛ぶように売れている。 駅の改札を出ると、読売新聞の売り子が号外を配っていた。
 世界最高クラスのワールドトレードセンタービルが、旅客機の突入で崩壊したと。ああ、やっぱり本当だったんだ。
 アル・カーイダの名前は直感的に出てきた。そう、95年の地下鉄サリン事件の時と同じように。

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当時の読売新聞号外 中身はフルカラーの写真とキャプションだけ
・・・・・

 合衆国が即時反応することは予想できた。支持率が下がっていた極右ブッシュ政権。そう、誰もが予想できた。そしてアフガンへの侵攻が始まったのだ。なし崩し的に。その行動にたくさんの論評がなされ、様々な立場から意見表明がされた。
 そして色々な世界の常識が、この事件を境により 単純化され、より野蛮になった。
そんな世界情勢の中で、月刊誌「現代思想」が、当時のブッシュ大統領の発した言葉をもじり「これは戦争か」という特集号を出した。9月末のことだ。当時存命だったデリダら多くの評論が掲載されていた。

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その特集号

 初めはデリダ(スピーチのみ)やジジェクらの論評を読んでいたけれど、 後半に掲載されていた論評に目が留まった。

 「アフガニスタンの仏像は破壊されたのではない 恥辱のあまり崩れ落ちたのだ」

 イランの映画監督 モフセン・マフマルバフが書いたものだった。同年3月、アフガニスタンのバーミヤン石仏が、当時アフガンを支配していた「イスラム原理主義勢力」のタリバンによって破壊されていた。事前予告の上、実際に世界遺産を破壊したこの事件は世界に衝撃を与えた。それこそ大変な衝撃を。

 マフマルバフは言う。アフガンには飢えて今にも死ぬ、そんな人たちがいる。そして多くの人がこの冬を超えられず大量の餓死者が生まれるという人道的な危機がある、と。しかし先進国はタリバンによるバーミヤン石仏の爆破にしか目がいかない。マフマルバフはある結論に達した。

 バーミヤンの大仏は、タリバンによって破壊されたのではない。大仏は己の存在がなんの価値もないということを恥じて自ら砕け散ったのだと。

 自身の周りに横たわる人民の死を前に、それを問題視せずただ石仏のみを見る先進国に、大仏はこれを見よと、その人民を指差す。しかし愚か者は指差す大仏のその指だけを見続けた・・。

・・・・・

 先進国でのうのうと暮らしつつ、「発展途上国」の蛮行を、それこそタリバンのそれを嘆く私に、この論評は極めて根源的な問題を投げかけた。
 あなたは何を見ているのだ。磨崖仏に気を配っても、そこで生きる人には何の関心もはらわないのか、と。 この論文はそう指摘しているように感じた。まさに私の生き方を、問うている様に。

 同じように感じた人もいたのだと思う。朝日新聞では異例の批評が掲載されたし、その後も書評が載った。共産党の赤旗は海外論文には比較的冷淡というか気にしない場合が多いのだが、これまた異例の3回にわたって、コラムなどで紹介されていた。いわゆる「左派」には同じように感じる側面があったのだと思う。

 お恥ずかしいことに、私はこれを読んで衝撃を受け、そして泣き叫んだ。こんなに読むのがつらい書籍は初めてだった。その後の私は、思考の変化があったように思う。単純に「多面的」な思考だけではなく、知らず知らずの間に繰り広げるダブルスタンダード、トリプルスタンダードな思考に陥らないように、気をつけるようになった。そして私は「テロ」という言葉を極力避けた。「テロリズム」という言葉は、それを使う人が、その対象となる存在に対して、敵意・悪意を持つという意味を込めたものだからだと。だから私は911「テロ」とは言わないのだ。

 ありふれたニュースの中で、いつもふと、こう考える。
 イスラエルが「テロ」報復攻撃をしたというテレビ報道を見ると、ふとその奥で、虐げられ犠牲になっているパレスチナ住民を考える。華々しいバグダッド侵攻の、そのさなかに殺される住民のことを思う。
 そして優れた製品を生産している企業の裏で、過酷に使いつぶされている労働者、利便性の裏で苦しめられている現地の住人、経営危機で解雇されるその労働者の生活を考える。

 確かに2001年、私にとっても、あの日は転換点だった、そう思う。



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