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ベストな非実現とベターな(もしかしたら)実現するもの [社会情勢]

 意思決定をするに当って、幾つかの選択肢があるとする。複数選択はできない。
1.ベストな選択肢があるとする。そしてそれは実現可能性が低い。
2.同時にベターな選択肢があるとする。それはやや実現可能性がある。
3.最悪の選択肢がある。それはベストな選択肢とベターな選択肢が失敗すれば、自動的に実現してしまう。

 こんな時、どれを選択すればいいのだろうか。

 ゲーム理論風に解釈すれば、それぞれの選択肢のもたらす結果が、どれほど「ベスト」なのか、どれほど「ベター」なのかを評価すること。すると実はベターに見えて「ワースト」かも知れない。案外「ワースト」でもないかもしれない。
そして実現可能性が、例えばベストの選択肢は20%なのか、10%なのか、それとも1%なのか、それとも0.01%?ベターな選択肢はどうだろう。30%?40%?それとも50%だろうか-もたらされる結果と可能性を天秤にかけて、結論を導き出す。
じゃあ可能性が0%のものを選択する意義は何?0%を支持する人たちは、それへの答えを用意する必要がある-特にベストな選択肢を希望しながら戦略的にベターな選択肢をとる人に対して-と、私は思う。

 2000年のアメリカ大統領選挙は、アル・ゴアとジョージ・ブッシュが接戦を演じた。多くの不正が明るみに出て、合州国の民主主義がどれほど脆弱なものかが明らかになったけれど、あのときゴアが勝っていたら、世界はどれほど今と違っただろうか。
 同じ選挙でラルフ・ネーダーが高い支持を得て、ゴアを支持しているニューヨークタイムスがネーダー批判のキャンペーンを行い、私はそれにずいぶん憤った。クリントンを見ろ。ゴアもブッシュも結局同じじゃないか、と。
 あまりにもすさまじいその後の世界を見て、本当に同じだったのだろうかと、ちょっと思い返してみることがある。しかし2大政党政治の権化のような合州国で、ネーダーが主要な政治勢力として現れたこと、それがこの選挙で明らかになったことについての意義は、喜ばしく認めている。

 今その「すさまじい都政」を目の当たりにしていると、色々と思うところがある。私は、0%の選択をする蟷螂の斧を愛するが、戦術は時には柔軟でなければならない、とも同時に思う。

 テレビの軽薄なニュースを見ながら、軽々に判断するほど気楽であれたら、どれほど楽なことか、とも思う。


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