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気管支喘息と言われて [雑想]

 娘が入院した。気管支炎らしかったのだが、どうも気管支喘息になっているとの診断だ。9月末から2回ばかり、気管支炎で病院に行っていた。今回は痰のからんだ咳が出ていて、でも熱はほとんどない。しかも元気だ。ただ咳が長引いている感じがして、妻の仕事休みを利用し、念のため病院に行かせた。
 立川の子ども診療所で診察。SpO2が90程度。外見からは分からないが、呼吸は苦しかったはず。ネオフィリン・サクシゾンDIVで様子を見ていたが、結局立川相互病院に入院した。小児病棟は2床しかなく、それぞれが個室で、以前複数病床があったところを改造したので、部屋は大変広い。小児は付添いが必要なので最初の二晩は妻が、その後の午後から一晩は私が付添う。

元気そうな赤ちゃん

 基本的に元気はいいので、外へ出たがり大騒ぎする。外へ出ると病棟中を駆け回り、年寄りばかりの入院患者に愛想をふりまく。早速数名の顔見知りができたようだ。最終日は私も付添って出歩いたので、多くの職員に会い、娘の顔を見せることができた。私の付添い時は案外おとなしく寝てくれたので、読み損ねているビジネス誌の特集に、じっくりあたることができた。
 さて入院時の検査結果はワイセが増加。血小板がやや少ない。CRPも一応異常値。喘息ではなく感染症では?と思ったが、喘息かどうかは退院後の経過や定期的な診察から、最終的に判断することになろう。
・・・
 喘息はかつて治療法が確立しておらず、精神/神経的な病気とも言われていたことがあった。今でも小児特定疾患カウンセリング料の対象に、心身症や自閉症と併記されているのはその名残だろう。喘息は「親の過保護が原因」と公言する医師がいたものだ。発作時に腹式呼吸をする、冷水を浴びたり皮膚の乾布摩擦で体を鍛えることが治療法なんて言われていた。体を鍛えるのは確かに有用だろうけれど、そんなことで治るものか。「過保護」と言われては親も子どもに厳しく当たらざるを得ない。親子双方にとってもつらい時代だったと思う。
 実は私も入院した。1ヶ月半も入院して、でも入院中も退院後も発作が起こった。入院半月後に退院して、その日に発作が起こって1ヶ月入院という調子。点滴を毎日していたけれど、薬はプラセボだった気もする。だって「喘息は過保護」と言う医者だったから。アレルゲンの除去?何もしていない。何の指導もなかった。
 私が小学校高学年になったころ、ステロイド吸入療法が始まった。噂を聞きつけ私の親が片道5時間もかけて札幌の病院に連れて行った。そこで1~2時間待って診療を受けた。合わせて発作時の気管支拡張剤の吸入薬ももらった。劇的に効いた。そこへは2,3回親と通って、その後は一人で通院した。診療後、札幌の街を散策して、大通り公園で焼きトウモロコシを食べ、ハトと遊んだり、デパートでショッピングなどをしていた。小学生だったから警察に職質されたり、列車の中で知らない人からお菓子をもらったりなどは日常茶飯だった。実はとっても楽しい思い出だ。
 でも隔週で通うのは大変なので紹介状を出してもらい、田舎の医者に渡した。彼は札幌の医者の薬を出さなかった。変わりにあやしい静注をする。40日間ほぼ毎日通い詰めた。医者は正常時の胸の音を聞いて「もう大丈夫だ。やっぱり注射が効いている」なんて能天気に言った。当時の私でさえそう思ったほどの治療。生食でも注射していたのだろう。薬がないからその間も発作があった。
・・・
 今はもう大丈夫。治療方法もほぼ確立しているし、喘息だとしてもあまり不安はない。親のせいにする医者も滅びて久しい。


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