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世の中そんなに単純じゃないんだから、もっと難しい言葉を勉強しようよ ~宇野常寛なる人物の評論に思うところ [雑想]

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 ケタ外れの豪雪がようやく、3週間たっておおむね融けた。遅れに遅れた梅の開花もようやく私の庭では7分咲きといったところ。
 冬場にずいぶんと枝を切ったことが功を奏したか、いつもよりずっと花をつけている。

さて。

 「評論家」の宇野常寛なる人物の評論を、朝日新聞2月12日朝刊の文化欄で見てからというもの、なんだかどうにも引っかかる気分が抜けてくれない。
 そんな中、いつも優れた論考を寄せる高橋源一郎氏が同じ朝日2月27日朝刊で、彼の評論にも-チクリと一刺しするように-一言触れた。それでムズムズと思い出す。

(論壇時評)「物語」に囲まれて 浸りきってもいいのかな 作家・高橋源一郎

 宇野氏の、此度の都知事選について語った評論の内容は大要このような感じだ。

・「ネット保守」に人気の高いタモガミ俊雄の票をみて、特に20代の4分の1が投票している。これはリベラル勢力の声が若い人に届いていない現れだ。
・現実に東アジア情勢は緊迫し、北朝鮮の状況も混迷している中、防衛・外交方針を具体的に打ち出す保守。
・それに対して、リベラル勢力は数十年前と同じ言葉で「教条的」かつ「精神論的」な憲法9条擁護論を繰り返すだけで、現実に存在する国民の不安に対応しようとしない。
・リベラル勢力は相手をバカにするだけで具体的現実的な処方箋を出せていない。その背景にあるのはある種の「大衆蔑視」。
・僕(宇野)が支持したのは家入一真氏です。若いマイノリティーの声を、インターネットから少しでも拾い上げることが今の政治には必要だという家入氏の確信は間違っていない。
・メディア上のポピュリズムではなく、生活に根ざしたネットワークの形成への移行が必要なのではないか。それがインターネットから保守以外の政治文化を生み出すための、中長期的な運動のかたち。



ぷはあっ!!(何か突然わき上がってきた恥ずかしい感情を振り払う擬音)頭の中がかゆくなるう!!

ネット右翼に加担したくはないけど、現実彼らの言ってることにも一理あるよね、それなのにサヨクはお高くとまってさ。ボクはそれじゃダメだと思うんだ。現実見ようよ。タモガミの得票バカにできないよ。若い人いっぱい投票してるぜ。
アジア情勢がきな臭くなってるのは現実じゃん。小難しいこと言ったって、全然届いていないぜ。もっとわかりやすい「処方箋」出してやんなきゃさ。連中のってわかりやすいだろ?もっと考えようぜ。
じゃあ都知事選には誰がって?・・うーん。舛添は論外だよな。自民党で古さ満点だし。細川?もう爺さんだしボクがここで支持してるなんて言ってもミーハー扱いされちゃ困る。宇都宮?いやいやいや、化石サヨクの候補だろ、ムリムリムリ!
でだ、ボクの推した候補は誰かって?家入一真さ。知ってる?フツーどう考えても泡沫なのに、なぜか天下の朝日新聞が、主要4候補と一緒にプッシュしていた彼さ。
どう?ボクって結構目利きじゃない?メディアでの上滑りな物言いじゃなくって、現実に足をつけて世の中動かそうよ。
(ボクってあったらしー!!目の付け所が違うよね。どうだまいったか!)


・・と、私には見えたんだ。うん。

 よくいるんだ、こういう人。
 既視感バリバリなんだ。こういう人。
 なんかこういう、リベラルっぽい思考はインテリのそれだから接近するとハクがつくけれど、一方のポピュリスティックな世論からは、これらの人々は煙たがられているし「政治的な色」がつくのが何となく嫌だから、一定の距離を置きたい系のなんというか「自称中立」をうたう人みたいな・・。

 ちなみに彼の推した候補に関しては、このようなエントリを上げられている方もいる。

あの都知事選候補は詐欺師(Openブログ 様)

わかりやすくない世界をわかりやすい言葉で語れるか

 わかりやすい言葉で。うん、そうだと思う。

 ただ思うのは、単純な言葉が、即正しいとは限らない。世界ってとっても複雑化していると思うんだ。特に第二次大戦後は。そして米ソ対立が一応の終焉を迎えた今では。
だからこそ、正しいものの見方は、簡単な言葉からは生まれないと思うんだ。

 考えてみよう。彼、「東アジア情勢は緊迫」なんて言っているから、戦争のたとえは非常に時宜を得ているよね。
 他国が攻めてきた。じゃあ軍隊をでっかくして対抗しよう!って超簡単で単純な物言い。何よりわかりやすい。相手よりも大きな軍隊(防御に徹するならある程度の規模でかまわないが)持っておけばいい。

 でも、今の世界を知っている人なら、こんな考えには留保しちゃうよね?
 だって、そんなBrutalな世界観は、少なくとも人類が長い歴史の中で、克服してきたんじゃなかったのかい?ほんの10年前、イラク戦争であれほど世界がもめたのは、いくら凶暴な独裁政権に対してであっても、理由なく他国に攻め込むことはまずいっていう合意が、世界の中にできていたからじゃないのかな。

 であれば他国へ侵略しかねない凶暴な「国家」なるものが存在したとして、それを押しとどめるのは際限ない軍拡なのだろうかね。
 今の世界、「侵略」なんて事態が発生した場合、もはや侵略する国・される国という二国間の問題にとどまらず、国際的に、この国に侵略したらえらくまずいことになるんじゃないか、という国際世論が形成されるんじゃないかという点。それが侵略国家に与える影響を考えない「国家」がどこにあるんだろう、という疑念。
 侵略をする・押しとどめる観点は、現代においては軍事上の優劣のみに帰するのかということを考えられないか、ということ。

ネット右翼の単純な言葉に、リベラリストや平和主義者は同じ言葉数では構造的に説明はできない

 要は、侵略されない国を作るには、軍事ではなく外交でしょ?という点が、現在において国際的には当たり前の観点のはずなんだけど、それを説明するのって、暴力には暴力をっていう点よりは説明に時間がかかるものなんだ。

 だからネット右翼に見られる拝外主義者や軍備拡張論者の意見の単純さに対して、国際世論やこの間の平和を求める世界的な歴史、人権擁護の運動、その積み重ねから説明する「リベラル勢力」に、言葉の難しさが発生するのは至極当然のことだと私は考えるんだな。
 つまりネトウヨと「リベラル」には、同じ意見に対応するにも情報量の偏りというのがある。それを読み下す能力を、この社会に生きていく上で必要な能力として、私たちが得ていかなければならない。
 だからこそ「教育」が必要になってくるわけだ。
*ちなみにこの「情報量の偏り」は南京大虐殺否定論や「従軍慰安婦」否定論ではネトウヨとリベラルでは逆転する。じゃあネトウヨはどうするか。彼らは平気でウソをつくことでこれに変えた。

 昔トーマス・エジソンの伝記を読んだ人なら知っているかも知れない。エジソン少年は「火はなぜ燃えるの」と大人に聞いた。では大人は同じ言葉数で、燃焼の原理を説明できるだろうか。「火はなぜ燃えるの」と聞いた少年は、その数十倍、数百倍の言葉に真摯に向き合い、説明を理解する義務が生じているのではないか、と私は考える。
  「尖閣諸島にチューゴクが攻め込むから離島防衛をキョーカせよ」と単純に軍拡を言い放つ人は、それよりもはるかに多くの言葉で批判する人の意見に、真摯に向き合い理解することが必要なのではないか。

 その労を惜しむ人間は、たとえ国内でかりそめの主流派になったとしても、真実にはたどり着けず、空虚なまま生き続けるほかない。
 そう思うのだ。

かつて知性がないことが、恥ずかしいとされた時代や世界があった

 かつて、学生というものは、やたらと難しい本をわかりもしないのに読んで、その本の中に書かれていたことを訳知り顔で語ったりしたものだった。本棚に小難しい本を並べて悦に入ったりしたものだった。
 もちろん本当に「理解」しているわけもなく、一知半解で間違った内容を語ったり、単に本の中の字句を、自分に都合の良いように抜き出したり。
 学生と言えば、知識の量、そして難しい内容を理解することを誇りとしたものだった。そして知識の足りない人を前にすると、浅ましい優越感に浸っていた。知識の足りない人は、それに正当な屈辱感を覚え、ますます勉強した。
 「この内容は難しいからわからない、もっとわかりやすいように説明せよ」なんて、殺されたって言えないような恥ずかしいセリフだった。
 私が学生だったのはもう20年も前のことになるんだけれど、その頃の学生でさえ、そうだったのだ。今でもネット言論など見ていても、ある意味それと似たような状況がなくはない。

 ひるがえって、今の言論空間とこの評論。これをもって日本人の知的頽廃と片付けるのは簡単だが。

 安倍政権や、その肝いりで誕生した現在の籾井NHK体制を見ると、事態はそう「単純」でもないようだ。
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