深遠な思考は死に至り、軽薄は未だ残る [雑想]
「ひどい」とか「悲しい」とか、そんな言葉を使って表現するのは詩として悪いことだと、昔の本で読んだことがある。感情はそれが表現する状況を書けばよい。直截な言葉で表現するのは感情の押しつけだと。擬音もまたその人が耳で聞こえたそのままを表現せよと。他人の表現を借りるのではなく、自分の言葉で表現することを説いたその人は、今思えば子どもの自立心を高いレベルで、しかもわかりやすく主張していたのかな、と思う。そのこと、その本は私の表現に今でもずいぶんと影響を与えている。
まだ10歳そこそこの時期に、そんな本に出会えた私の環境は、実に恵まれていたのだろうと思う。
だからこそ「イタミニタエテヨクガンバッタ。カンドウシタ!」等々の直截な表現でわめく人物を見て、私はその浅薄な言質に、首相としての知的水準すら疑ったものであった。その浅薄さはますます混迷の度を極め、その疑いはたやすく確信へと昇華した。
その本の著者灰谷健次郎さんが亡くなった。灰谷さんは教育基本法の改悪にも反対していた。彼がその立場を取っていることが、今の私にはよく分かる。
冒頭の本はもしかしたら灰谷さんじゃなくて谷川俊太郎さんだったかもしれない。ただその後朝日新聞に掲載されていた編集者による弔辞は、灰谷さんが以上の思想を共有していることを物語っていた。
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