TDA/JAS歴代DC-9とMD-81のピンバッジ 上から下にかけて塗装の年代順に並べています

 日本の航空会社では、私は日本エアシステム(JAS)が好きだった。2000年頃には、世界でもっとも安全な航空会社との評価を勝ち得ていたし、その頃導入された新鋭機B777には、レインボーシートといって1000円プラスでゆったりとしたシートに座れたからだ。
 そして何より私が子どもの頃に乗っていた国内長距離路線では、日本エアシステム(当時は東亜国内航空)にはなかなか乗れなくて、1度乗ってみたいという思いが強かったからかもしれない。



「空からの贈りもの」 確か1990年頃に乗客に配布していた冊子。飛行機に関する情報やエピソードが34ページにわたって書かれている。右のステッカーは一緒に配布していたもの。非正規雇用が労働者の過半となっている現在では、ますます重要性のあるスローガン。大事に保管しています。

 そんなJASが日本航空(JAL)に吸収されて、現在のJALになった。この2社のコンピュータシステム統合は、大規模システム統合の成功例として、システム屋の間でもなじみ深いものとなった。
*実際に成功したのかどうかはわからない。ただ2004年当時は日経のメディアではもてはやされていた。

 ほんの5年ばかり前の話だ。JASはなくなってしまったけれど、JALのマイレージ会員になって優先的にJALを利用していた。しばらくはJASのレインボーカラー機(デザインは映画監督の黒澤明)も飛んでいたから。

 しかし私は今後2度とJALを利用することはないだろう。