労災保険は労働者の福利のためにあるのであって、営利を目的とした保険とは違う。労災支給額が上昇する、つまり労災認定となる労働者が多くなるということは、使用者である企業・団体等が労災を生み出す労働環境を作っているからだと言える。それ以外言いようがない。だからこそ労災保険の原資は事業者が負担するのである。
 労災保険への事業者の支出が大きくなるのは、ある意味自業自得であって、その負担を減らしたいのならば、労災を生み出さないような労働環境を作るのが先なのだ。誰が好きこのんで労災になどなるものか。労災になりたくない労働者、労災を生み出したくない-もっと直裁に言えば、労災保険への支出を増やしたくない-事業者。なんだかんだ言っても求めるものは一緒なのだ。簡単にWin-Winの関係ができるではないか。しかしなぜ労災が増える。なぜ苦しむ労働者が多いのか。


 先日16日に下された「川田過労自殺事件」の労災認定を求める高裁判決が、原告敗訴の不当判決となった。

 裁判長は東京高裁民事第15部の藤村啓

 裁判の報告集会によると、この判決の中で彼は、労災保険は事業者の支出によって成り立っており、安易に労災認定をすることは労災保険財政を圧迫し、企業等の支出を増やすことになるから、そうしたことは慎まなければならない・・というような意見を書き散らしたようだ。

 この藤村裁判官、他の過労死事件の裁判も担当し、同様の論理を法廷で平然と言い放ったとのこと。別の事件の原告が証言していた。

 労災保険制度がいったい何のためにあるのかを全く理解していない許し難い暴論だが、この論理、どこかで聞いたことがある。