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川田直さんの労災認定を勝ちとる会報告集 ~川田過労自殺事件について [川田過労自殺事件]

 表題の報告集がようやくできた。1996年に発生した川田過労自殺事件、その約15年にわたるたたかいを記した報告書。
 2010年の12月に行われた、報告・終結集会での発言、そしてこの間の経過をまとめたものだ。

 報告集の作成途中で東日本大震災が発生したり、発言の原稿作成が意外に大変だったり、そもそも裁判が終わってしまって、関係者との接触が少なくなってしまったりで、ずいぶんと時間がかかってしまった。

 完成したのは今年の5月。勝ちとる会の皆さんへは、すでに発送は終えた。

 巻頭言を書いたのは、勝ちとる会の事務局長をしていた私だけれど、完成した報告書を読み直して、「あれ」と思う。事件の概要を記したものがないのだ。会員向けなので、事件概要はよくご存じという前提なのではあるが・・。

 勝ちとる会の公式ウェブサイトも今となっては閉鎖してしまったこともあり、ご遺族の了承も得て、川田過労自殺事件の概要を、以下簡単に記載することにした。

 そして川田過労自殺事件に関するエントリを、新たにカテゴリを作成して、そこから一覧できるようにした。

9月26日 川田直さんの命日に。

・・・・・

みずほトラストシステム(旧安田コンピュータサービス)での過労自殺事件

 今から15年以上前、1996年のことです。東京都国立市の川田 直(かわだ すなお)さんという青年が亡くなられました。

 過労自殺。就職からわずか半年後の出来事でした。

 彼が入った会社は東京都調布市にある安田コンピュータサービス(現みずほトラストシステムズ)。旧安田銀行系のコンピュータ関連会社でした。大学の数学科を出た彼は、コンピュータの経験はありませんでした。・・当時コンピュータは一般家庭にそれほど普及はしていません。インターネットなどをやっている人もごくごく少なく、ケータイを持っている人はもっと少ない、そんな時代でした・・。
 何の経験もない新人を、研修などで学習させ業務を進め、一人前のエンジニアにしていく、当時はそれが当たり前のやり方でした。

 ただ、幾つか違う点がありました。

新人研修がコストカットの犠牲に

 彼が入社した年、社長が替わりコスト削減を進めました。研修期間が前年の半分程度に削減され、会社は数百万のコストが浮いた、と自慢げに報告しています。しかし研修担当者は「研修が不十分になった」と法廷で証言しています。

 もう一つ。1996年は前年の住専問題と銀行の不良債権が問題化した年。そして翌97年には山一証券が破綻しました。北海道最大の金融機関、拓銀が破綻しました。
 彼が働いていたのは銀行系のシステム会社。この余波がないわけがありません。

 現場は非常に忙しかったことでしょう。そしてそこにいつもの年の半分しか研修期間のない新人が、いきなり現場に投入されることになったのです。

新人なのにサポートなく現場仕事に

 もちろん初期研修しか終えていない新人は「研修」扱いです。だから川田さんには現場で研修担当になる社員がいたはずでした。けれど組織図に載っている研修担当社員は彼のことをほとんど何も見ていません。実際には職場の先輩社員が研修にあたらざるを得ませんでした。
 その彼もたくさんの仕事を抱えているようでした。川田さんはたった一人で、困難な仕事に取り組まなければなりませんでした。ただでさえ彼の配属された部門は、新人には難しいとされるところです。そんな場所で彼は、研修もないままCOBOLのプログラムを作らされていました。

 川田さんは非常に苦労してプログラムをしていたようでした。例えば会社が提示した彼のプログラム、最高で49回の修正履歴が残っていました。パソコンとは違いメインフレームでのプログラムです。一つの修正は結構な手間がかかります。

 慣れた人から見れば、「なんだこんなの」なレベルでしょう。けれど初心者、しかも実践的なプログラム制作を初めて任された人です。本来はこの仕事、研修なわけです。
 彼は満足なサポートのないまま一人で仕事をさせられていたのでした。それは彼がつけていた研修ノートを見ても、はっきりと分かることでした。

サポートどころか会社の対応は

 7月にはすでに体調がおかしくなっていき、何とか8月頭に仕事を終えたものの、急な仕様変更があり仕事をやり直し。そしてその仕事を終えてからすぐに別の仕事。今度は他のコンピュータ言語(PL/1)を使った仕事でした。

 その仕事の途中、彼らが誤って顧客名簿を通常ゴミとして廃棄する事故もありました。会社は新人の川田さんを連れて関係企業へ謝罪に行き、かつそのことをメールで社員に周知したようです。

うつ病を発症 しかし会社は・・

 そんな川田さんは、8月半ばには体調不良が明白になり、事件後の医師の判断によれば8月末にはうつ病を発症していたであろうとのことでした。
 夏休みもとれなかった川田さんは、9月に1週間ほどの休暇を取ります。その休暇が終わる頃、会社の部長が面談に来ました。ファミレスで、部長はビールを飲みながらの面談です。川田さんは最終的に退職の意思を明らかにし、9月末に手続きをして、そのまま退職ということになりました。

 けれど9月24日、会社は出社した川田さんに月末までの勤務を指示します。会社側によれば月末まで勤務すれば雇用保険の受給資格が出る、出社は強制していないとのことでした。本当でしょうか。
 もしそうだとしても、うつ病で、しかも仕事半ばで会社を辞めることに負い目を感じているであろう新入社員が、労務部長の「出社しては」という言葉を命令と同様にとらえたとしても不思議ではありません。

 川田さんは翌25日も出社。会社では特にすることもなく、仲間たちが忙しく働いている横で、仕事もなくつらい状況でした。その夜はなかなか眠れず、深夜家の中をうろうろしていたとのことです。翌26日も出社。会社からの帰り、公園で泣いている様子が目撃されています。
 川田さんはそのまま帰宅することはありませんでした。

 会社は翌年2月、社としては初めて、メンタルヘルスに関する研修会を実施しました。

・・・・・

 ご遺族は安田コンピュータサービスの社員に聞き取りを始めました。そこには詳細な記録が残っています。息子の死は会社の労働内容に原因があると確信したご両親は、99年に三鷹の労働基準監督署に労災を申請します。2003年には会社を相手取って損害賠償訴訟も起こしました。

 労災申請を知った会社は、社員に箝口令を敷きました。

 2002年、川田さんのたたかいを支援する団体が生まれました。「川田直さんの労災認定を勝ちとる会」です。

 会は急速に会員を増やしました。川田さんの居住する東京都国立市、以前の居住地葛飾区、そして福島市に特に会員が多い。その3地域には支部ができるほどでした。

 会員数は最盛期には700人を超えました。全国に会員がいました。のべ8万を超える署名が集まりました。多くの個人、団体が支援していただきました。
 ご遺族には新聞やテレビの取材もあり、知名度の高い事件になりました。


 たたかいは2010年10月、最高裁が上告を棄却するまで続きました。判決などの経過は、このBlogのエントリに記載しています。

・・・・・

川田過労自殺事件 年表

 96年4月    川田直さん、安田コンピュータサービス(当時)入社
  5月20日   集合研修終了 営業開発部での現場研修開始
  7月末    体調不良を訴える
  8月半ば   受信共通・制御チーム(銀行オンライン制御系)配属
  8月終~   病院受診 精神安定剤等処方 うつ病が確実に
  9月11日   退職届提出。慰留される
  9月13-20日  休暇取得(夏休み含)
  9月19日   部長等が自宅に その後ファミレスで面談
  9月24日   再度退職届提出 9月末まで出社を命じられる
  9月26日   自殺 享年24歳
 99年9月    労働基準監督署へ労災申請(05年8月不支給決定)
 03年6月    東京地裁八王子支部に会社を提訴(損害賠償)
 03年12月    川田直さんの父 佐忠さん死去
 06年2月    労災不支給決定を不服として、国を相手取り東京地裁に提訴(行政訴訟)
 06年10月    損害賠償訴訟は東京地裁八王子支部にて原告請求棄却の不当判決。直ちに高裁へ提訴
 08年5月    行政訴訟東京地裁で請求棄却の不当判決。直ちに高裁へ控訴
 08年7月    損害賠償東京高裁で不当判決。直ちに上告
 09年3月    損害賠償最高裁で上告棄却
 09年9月    行政訴訟東京高裁で不当判決。直ちに最高裁へ上告
 10年10月    行政訴訟最高裁で上告棄却
 10年12月    勝ちとる会の終結集会
 12年5月    報告集刊行

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