B747同型機 2013年3月

 6月初旬、2010年に始まった日本航空(JAL)の不当解雇問題で、東京高裁は会社を訴えている客室乗務員とパイロットに、あいついで解雇合法の不当判決を下した。
 判決のむちゃくちゃぶりは、原告団の公式サイトなどで批判されているが(JAL不当解雇撤回裁判原告団)  客乗連絡会、そんな中、赤旗が、原告団パイロットの方お一人に焦点を当て、非常にコンパクトながら旅客機パイロットという職業の特性と、解雇によって対象者がどれほど非人道的な状況に置かれているのかを、的確に表す記事を書いてくれた。

しんぶん赤旗 2014年6月15日三面



きょう父の日 お父さんは負けない

たたかって職場を良くし、家族が安心できる社会に



日航解雇撤回裁判原告パイロット 和波宏明さん



 15日は「父の日」です。日本航空解雇撤回裁判原告のひとり、機長の和波宏明さん(47)は、小学6年生の息子と娘の双子の父親です。家族が安心して生活できる社会にするため、解雇撤回のたたかいを続けています。(田代正則)



 和波さんが解雇されたのは、空の安全を守るための航空身体検査で一時的に乗務停止になっていたからでした。

 2010年5月14日、ゴールデンウィークの乗務を終えて受けた身体検査で、不整脈が見つかりました。パイロットは離着陸の際、緊張と集中で心拍数や血圧が高まります。時差やストレスなどを受けながら働くため、珍しくない症状です。



安全基準に従ったら解雇



 空の安全のために厳しい基準があり、日常生活やスポーツに支障のない程度でも、手術が必要となる場合があり、和波さんは7月上旬に手術を受け4日間で無事退院。経過も良好でした。しかし、航空法の規定により最低6ヵ月間乗務できません。その間、和波さんはシミュレーターと呼ばれる模擬飛行装置による訓練などの手伝いをしていました。

 ところが12月9日、回復を証明する身体検査を受けたその日に、会社から解屈を通告されました、「2010年度において乗務離脱期間が61日以上である者」との整理解雇人選基準に該当したためです。

 翌2011年1月17日に検査合格の通知を受け取ったときには、すでに解雇が強行されていました。1月19日、解雇撤回裁判の提訴に加わりました。

 無収入のまま長期間裁判を続けられません。契約パイロットとして採用してくれる航空会社を探しました。和波さんの乗務していたボーイング747型ジャンボ機は、日本で退役が決まっており、国内で採用してくれる会社はありませんでした。

 2011年12月、中国・上海の貨物を扱う航空会社に採用が決まりました。日本に家族を残して上海に行くとき、子どもたちから「どうして、外国に行くの。いつ帰ってくるの」と聞かれました。

 解雇当時、小学2年生でまだ幼かった子どもたちには、解雇のことを説明していませんでした。「中国ではパイロットが足りないから、お手伝いに行くんだよ」。裁判はきっと勝つと信じて、「3年くらいで戻ってくるよ」と答えました。



「一緒に帰ろう 家族だよ」



 年が明け2012年になって、家族が上海に訪ねてきました。数日、観光して日本に帰るとき、娘が和波さんにしがみつきました。「お父さんも一緒に帰ろう。家族だよ」。答えることができませんでした。

 日航では、かつて、地上職の日航労組委員長を海外転勤にして、家族を長期間バラバラにしたことがあります。この非人道的な労組攻撃は、小説『沈まぬ太陽』(山崎豊子作)のモデルになりました。

 「家族をバラバラにされるとは、こんな気持ちだったのか」しかも、和波さんは、解雇までされています。

 和波さんが働いていた貨物航空会社には、遠く母国に家族をおいて働きに来ているパイロットがたくさんいました。「雇用が流動化すれば、経済が活性化するという論鯛がありますが、労働者本人と家族を犠牲にしていいのでしょうか。落ち着いて働ける環境こそ必要です」

 和波さんは、日本へ戻ってくるために、国内就航予定のLCCに転職しました。

 日航では、解雇が強行されて以来、他社に転職していくパイロットが続出しています。しかし、有期契約でパイロットを募集しているLCCなどは、ぎりぎりの入員体制で運航しているため、制限時間いっぱいまで乗務しています。

 このため、体調を崩して乗務資格を失ってしまう乗員も出たり、労働条件に不満がある乗員が他社に移ったりするなどで、多くの便が欠航に追い込まれる会社も出始めています。

 「外に逃げようとしたところで、契約制パイロットであり、労働条件が大手を上回ることはまずないといってよいでしょう。日航には乗員組合や機長組合など労働相合があります。たたかって、職場をよくすることこそ必要なんです」と和波さん。

 裁判は、東京高裁が解雇を容認する不当判決を出しました(5日)。たたかいの場は最高裁に移ります。

 「解雇を自由にして雇用を流動化させることには、歯止めをかけないといけません。私も職場に戻ります」