庭のスモモが満開になりました

 新年度前後から、新しいプロジェクトやらでやたらと忙しくなった。すっかりBlogの更新も途絶え、皆さんのところに訪問することもままなりません。申し訳ない。

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 朝日新聞3月24日号朝刊に、京セラの会長などを歴任した稲盛和夫のインタビューが掲載されていた。題名は「まずは従業員の幸せ」不屈不撓の一心 JAL変えた経営理念 だそうだ。

 内容は・・まあ、この手の経営者の話しというのは、内容が誇張されていたり、片面的な内容で真実にはほど遠かったりすることが、往々にしてあるものだ。あまり価値のある内容とは思えない。

 じゃあなぜこんな記事を取り上げるのかというと。
 私が引っかかったのは、京セラを立ち上げて3年目に、労働者が要求を突きつけたとする「事件」を記載した部分である。

 「60年安保の翌年です。当時の京都は共産党が強く、知事も共産党の蜷川虎三さんでした。企業経営者というのは、労働者をこき使って、労働者から搾取すると見てたんでしょうね・・」


 まず京都府知事を長きにわたってつとめた蜷川虎三氏は、共産党(共産党員)ではない。当時は共産党を含めた革新共闘で、社会党が勢力としては共産党よりずっと大きかった。また当初蜷川さんは社会党員として選挙に出ていたし、1958年の京都府知事選挙では、共産党と若干もめたらしく、対立候補まで立てられている(この年、自民党から推薦状すら送られているが、さすがに返送したとのこと)。

日本共産党 京都府委員会 京都府党のあゆみ 第二部第三章 第7回党大会と綱領確定による京都府党の前進

 蜷川虎三の知事後半は、社会党の右傾化-特に京都社会党の-によって、彼が共産党に心情を寄せる場面が多かったことだろう。ただ、稲盛が指摘する60年安保当時は、蜷川さんはそれほど共産党に近かったわけではない。

 つまり。

稲盛氏は、自分に対立するものは何でも「共産党」のレッテルを貼る人だということだ。