10年前のあの頃・・ 2003年3月20日、イラク戦争が始まった。日本国内でもすでに反戦世論は大きくなっていて、戦争直後の集会・デモには約5万人が代々木公園に集まった。
*その会場に「中核派」・・うーん「革マル」だったけ・・の皆さんが集まっていて、「米帝を打倒せよ」「日共を殺せ」なんてわめいていた。集会が始まる前その中の一人に私が「運動を分断するようなことはするな」なんて言ったものだからちょっともめて、集会後デモが始まる頃にまた偶然その子にあったんだけど、なんかすごくヒートアップしちゃってて、まずいことしたなあ、なんて思ったものだ。 デモはあちこちに飛び火して、多摩地域でも立川などで反戦デモがいくつか行われた。
その流れは同年5月頃にイラク・フセイン政権が倒された頃から、次第にしりすぼみになった。ただ反戦運動自体はしっかりと残って、地道に活動を続けていたのだ。
今の反原発運動に少しばかり似ている。
その頃だった。警察と自衛隊情報保全隊が、これらの運動を監視していたのは。
反戦運動を敵対視し詳細な報告書を作成していたことが、共産党への内部告発によってバレた。バレたのは2007年のことだ。
やっぱりこいつらやってたのね、ってな感想が悲しい(私の当時のエントリ) 連中はもちろん監視していただけではない。
その監視活動が実力として行使されたのが、2004年の立川反戦ビラ弾圧事件だった。立川自衛隊監視テント村の関係者が、自衛隊の公務員宿舎に反戦ビラを投函しただけで、逮捕された事件(住居侵入罪)。
立て続けに弾圧が起こった。同年に住職がマンションにビラを投函したら逮捕された事件(葛飾ビラ配布弾圧事件:住居侵入罪)。自宅周辺でビラを配布したら逮捕された事件(国公法弾圧堀越事件:国家公務員法違反)。世田谷で宿舎にビラを投函したら逮捕された事件(世田谷国公法弾圧事件:国家公務員法違反)。
そしてビラ配布に言いがかりをつけて妨害するという、公になっていない事件も多数発生している。多摩地区でも2008年、国分寺市議がマンションにビラ配布しようとしたら管理人(自民党の同市議)が妨害して警察を呼んだ事件もあった(後に不起訴)。
これらの多くは反戦運動、特に共産党をターゲットにした弾圧行為だった。
2004年夏にはイラクで人道活動をしている高遠さんらが現地人に拉致される事件が発生した。その頃ネット右翼(ネトウヨ)が最盛期を迎え、何か書いたらイナゴのように群がって
(*)罵詈雑言を書き散らすなんてことがよくあった。
(*)群がっているかどうかは本当のところは疑問だ。アクセス解析すれば同一人物が大量に書き込んでいるということもあろう。いずれにせよ世論とは違う。 このネトウヨを当時陰に陽に支援していたのがサンケイなどの右翼メディア。スポーツ紙などはあからさまに高遠氏らの人質事件を「自作自演」扱いして攻撃していたし、昨今極右番組から干されて騒いでいる勝谷誠彦なる人物は、当時自身のネット日記で自作自演説を開陳して、未だ反省することもない。実はさらにその裏には、当時の総理秘書官をしていた飯島勲ら官邸筋や外務・公安筋がいたのではと私は踏んでいるのだが・・。
愚かな「バッシング報道事件」にイジメの構造を見た 高遠さんらは日本での反応の大きさに驚いたのか、しきりに低姿勢で、当時は精神的にもまいっていたようだ。私も事件から約1年後の集会で彼女の話を聞く機会があったのだが、その時でさえ「ご迷惑をおかけして申し訳ありません」と深々と頭を下げていた。そんなことしなくてもいいのに。
一方この事件のすぐ後に拉致されたジャーナリストの渡辺・安田両氏は、誹謗中傷に対し毅然としていたからか、彼女らほどの攻撃にはさらされなかった。彼らの話は、事件後すぐに中野ゼロで聞くことができた。その時、このバッシングに対抗すべくたくさんの人が会場を埋め尽くしたことを鮮明に覚えている。
また、イラクで同様に捕らえられ殺害された日本人については、同じような状況であったにもかかわらず、ネトウヨ世論はそれほど攻撃的ではない。
これらを見るに、ネトウヨの行動様式は、学校や職場など日本の組織における「イジメ」の構造に非常に似通っているように思う。ネット世界においても、現実社会から逃げられないということか。
2007年、安倍晋三が参院選敗退の余波で首相を辞任してから、この手の動きはめっきり弱ったが、その頃から世論が改善したかというと、そうでもない。
洗脳から解けない人々・・メディアの責任は非常に重い 2006年頃か。読売新聞の販売所が近くにある関係で、よく読売が勧誘に来る。あまりにしつこいので、殺し文句として私はこういうことにしていた。「読売新聞はイラク戦争を推進した。今ではそれがでたらめだったことがわかっている。読売がそれを反省し国民の前で謝罪をしたなら購読を考えてもいい。」
するとある勧誘員がこういった。「本当にイラク戦争は間違っていたと思ってるんですか。イラクは民主化されたじゃないですか。」すこしあきれてこう返す。「イラクの現状を見てそう言っているのか。おまえは新聞勧誘に来ているのだろう。論争したいというならいつでも相手になるぞ」と。
あの時点でなお、このようなことを信じ、あまつさえ論争を仕掛けようという輩がいたのだ。私の剣幕に負けたのか、その勧誘員は早々に引き下がったが。
イラク戦争、いや、2001年のアフガニスタン侵攻、いや1990年の湾岸戦争。今でも続くイスラエルによるレバノンなどへの侵攻。これらの対処を見ていると、国際法とはなんなのだろうと考えることが良くある。私が学生の頃は、アイヒマン事件でさえも、国家主権を侵した事例として論争になっていたはずなのに。
(*)ナチスの「ユダヤ人」虐殺を主導したアイヒマンが、1960年に潜伏先のアルゼンチンでイスラエルの諜報機関に拉致され、同国で処刑された事件。
アドルフ・アイヒマン(Wikipedia) 私は2003年は、3月20日は、国際法を暴力的に破り無視する権利を、超大国が持っている、そのことが誰の目にも明らかになった日ではないかと考えている。
確かにあの日、世界は変わった。それも、20世紀が多大な犠牲をもたらして勝ち得たはずの、国際秩序が崩れていく。そんな思いを抱いたものだ。
それを振り返り反省しようという動きは、米英各国にある。しかしこの日本は、少なくとも政府のレベルでは、実に心許ない状況と言わざるを得ない。
「従軍慰安婦」ですら反省できない連中が、国家の中枢にいるくらいだから。それはとても恥ずかしいことだ。
官僚主義とは 間違いを正さない組織は、間違いを認めない組織になる。間違いを認めない組織は、間違いをなかったことにする。間違いをなかったことにする組織は、間違いに対して非寛容になる。間違いに対して非寛容な組織は、間違いを犯さない人を輩出する。間違いを犯さない人は、つまり何もしない人なのだ。
このような状況になった組織を、官僚主義という。
自戒を込めて、そのような組織を変革しなければ、と思う。10年目のこの日に。