いよいよ10数年来勤めてきた病院を離れることになる。

 私はトップページに長らく表示してきたとおり、情報システムにとどまらず何でもやる事務だったので、様々な職種と関係を持ってきた。

 一般的には病院職員と関係の薄い、パートの調理員まで私の顔と名前を知っているくらい。

 先日、合宿を兼ねた打ち合わせがあった。

 30人ばかりが参加する研修会で、会議後の夕食会には子育て中の一人を除いて全員が参加した。去年とはずいぶん違う。というのも、その夕食会は私の送別会も兼ねているからだった。

 全職種が参加する会議なので、各方面からのコメントをもらう。

 このような会にありがちなお世辞はほとんどなく、真摯でそして切実なコメントを、全職種からいただけたと思う。
 ただ私、あまりにたくさんのことをやり過ぎていたからか、ほとんどの職員が行く末をおそれていた。不安の声は送別会参加者からもたくさん出された。

 私の挨拶。10数年間(実は現病院に勤務し始めたのは、このBlogの開設とほぼ一緒の時期なのだ)の思い出を、窓口にいらっしゃる患者やその家族のエピソードを縷々語った。
 後日いくつもの職員から好評との意見をいただいたので、良い話が出来たのだと思う。
 職場からは送別の品をいただいた。何人もの職員個人からも贈り物をもらう。花束と、メッセージのいっぱい入った色紙も。

 送別会の前日、勤務最終日に国立市大学通り沿いのレ・アントルメ国立へ。100名ばかりいる職員に餞別のお菓子を買いに行った。その総額は通販で注文しておいたものも含めると3万円を超えていた。それでも今まで世話になった職員たちへの、せめてもの気持ちを示したかったので、それで良かったのだ。

 昨年から一緒に、秘書のように働いてくれているパートの事務職員。退勤時間になって、いつもは時間通りに帰るその人が、なかなか帰らない。「もう時間だよ」と声をかける。今までありがとう、と握手をすると、言葉が出ないままボロボロと涙を流し始める。ちょっと決断を誤ったかな、と後悔もする。

 合宿からの帰宅時、そのような思い出が巡り、何も出来ないまま、家でずっとこれまでの思い出を反芻していた。

 そのようなことがあったので、新しい職場ではちょっとホームシックのような感情がわき起こる。

 素晴らしい職場、暖かい患者・家族の皆さん、そして同様にたくさんの職員。このような環境で働けていたことが、今本当にありがたいとしみじみ思う。もうこんなことは起こりえないと思うくらい、幸運な職場。
 たくさんの職員が私を慕ってくれ、私はそれに全力で応え続けた。その集大成が送別会で出たように思う。