なんというか、うん。意見交換には敷居が高い感じがするのね。もっと雑ぱくな雰囲気があるといいかな、と思う。かといっていきなり懇親会では参加者間で知識の共有化ができないし。
もうちょっと泥臭い現場の運用集を、経験交流を、何らかの形ですすめていく必要があるように思う。各セッションへの人の集まり方を見ていると、需要は確実にあるはずだから。
先日届いた日経SYSTEMSの最新号では、富士通で行われている失敗事例のケーススタディが紹介されていた。富士通のそれは失敗した案件を参加者間で追体験することで、自らが失敗ケースを生み出さないようにする学習効果をねらったものだ。また一方で失敗事例や「一見たいしたことないように見える」事例というものは、経験を身近に引き寄せやすい効果があるように思う。
ただ、闊達な議論を誘発するために失敗事例を報告するというのは、単なる成功事例の報告よりもはるかに高いスキルが必要になるんだなあ。時間もあまりなかったというのも一因のようだし。
最後は大会場での医療情報システムに関するシンポジウム。昨年の日本版EHRに関するシンポと同じような内容だが、広い会場に9時開始と言うこともあってか、人はまばら。去年と進捗はさほど代わり映えがしない印象だけれど、このようなプロジェクトは1年そこそこで劇的にすすむものでもない。
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平和記念公園の慰霊碑前では常に誰かがお祈りしている原爆ドーム脇に鈴なりのスズメ そうそう、厚労省の演者がこんなことを言っていたっけ。医療情報の外部保存に関して、「何かに使われるんじゃないか」と勘ぐられるからあまり大声で言いたくない、というような内容だったか。ごにょごにょと言っていたから、彼の言わんとしているところがよくわからないのだが。
去年のこの
Blogのエントリに、日本版EHRと国家権力による情報の悪用についての懸念を書いた。同じようなことは住基ネットでも問題になっており、もしかしてそのことを意識してのことかもしれない。
*Googleで「日本版EHR」と入力すると私のエントリがトップページにくるので、もしかしたらその辺も影響しているのかもしれないが。
ならば念のため一言。権力による情報の流用・悪用によって何が起こるだろう。自衛隊情報保全隊の内部資料が流出した事件を覚えているだろうか。そのとき私もこのBlogに記事を書いた。
警察とスパイ組織が共同し情報を不当に流用し合い、立川テント村へ行った弾圧捜査。公安警察が執拗に不法な情報収集を行った末に、共産党員を犯罪者扱いした
「国交法弾圧堀越事件」。国家権力の意にそぐわない人への抑圧。
その流れが立川反戦ビラ弾圧事件を、そしてつい先日11月30日に判決のあった「葛飾ビラ弾圧事件」を最高裁で確定判例とさせ、「政府に批判的な」ビラをまいただけで犯罪となるような国家を生み出した。国家が握った情報を恣意的に利用するとき、このような事件が発生する。そんな人を私は間近に見ている。
医療・健康情報を集中することのメリットは大きい。その方策は是非とも積極的に進めるべきだ。そんなことはわかりきっている。だからこそ、「国家が」暴走しないシステムを構築し、きちんとした説明を行うべきなのだ。その労を執らないシステムは必ず失敗する。
官僚や政治家の口先だけの答弁ではだめだ。国旗国歌法が成立した2000年。法案の審議で国旗・国歌の「強制はしない」と明言した政府。しかしその舌の根の乾かぬうちに教員に対し、何が行われたか。東京に住む私はそれも間近に見ている。
権力がたやすく暴走する状況を、私は身をもって実感することができる。「今」たやすく暴走する権力を私たち同時代人は見ることができる。事例はいくらでもある。
だからこその「国家が」暴走しないシステムが必要なのだ。
国連人権規約委員会で「懸念を有する」とまで指摘された日本の人権状況について、厚労省の彼は何を思うだろうか。そこまで頭は回らないか。
システムを構築するということは、特にこのようなセンシティブな情報を扱うシステムの構築とは、必然的にその人の生活に深く入り込むものとなる。技術的な側面のみ目を向けたい気持ちもわかるが、こうしたシステムで社会学的な視点を除くと必ず失敗する。
技術的、経済的な課題をクリアできたら、ぜひ社会学的な課題に取組んでいくべきだと、私はそう思った。学会の場ではちょっと難しいだろうか。いやこのような学会だからこそ、積極的にそれに取組むべきではないか。
広島レストハウス 現在は観光案内所 被爆建造物 今回参加して、どうもマンネリな印象をぬぐえなかった。ただ学会の中身がそうなっていると言うより、私自身の感受性がいささか低くなっているからだと思う。1人職場なのも影響しているかもしれない。なんとか打開しよう。今までそうしてきたのと同じように。
平和大通りではイルミネーションイベントをやっていた