2007年。60歳になった団塊の世代が多数退職するという状況を、私は自身の所属する会社で体験することとなった。その後も定年で退職する人をたくさん見ることとなった。その他たくさんの組織での経験も聞いた。

 いろいろな人がいて、立場も様々。そう、いろいろ。さまざま。

 その最後の日まで、真剣に仕事と向き合い、後身に技術を伝えた人もあれば、ただ何をしているのかすらよくわからない、その職責の大きさから見れば、極めて堕落した働きしかしていない人もいた。
 退職を惜しまれ、皆から暖かく送別される人もいれば、こいつはいったい何だったんだ、と石もて追われるごとく組織を去る人もいた。
 いや去るだけならともかく、いい加減なプロジェクトを炎上状態で放置してやめた人もいた。そんな人は特に印象に残る。そして思うのである。

人間晩節を汚すものではない、と。


 極右「文化人」の曾野綾子が、またまた産経新聞で書き殴ったことが、さすがに物議を醸している。

曽野綾子氏の産経コラムに抗議相次ぐ 人種別居住区に言及で(Gohoo:2015年2月18日)

 内容については多くの方が批判しているし、私はあえて触れない。このような暴言は、先進各国では論評に値せず、ただ不適切であるとして糾弾の対象となるだけだから。それは・・、

・ナチスのホロコーストはなかった

・日本軍による「従軍慰安婦」はただの売春婦だった

・クメールルージュによるカンボジア大虐殺はねつ造だ


 等々の「言論」が、すでに被害者への冒涜にあたる、一種の暴力であるとみなされるのと同義であるから。