今年はチャップリンの映画デビューからちょうど100年なんだそうだ。

チャップリン 映画デビュー100年 独裁者に勝った喜劇王(しんぶん赤旗2014年11月21日。電子版はないみたいです。)
著者は大野裕之氏。「日本チャップリン協会」というところの会長をされているんだそうです。

 この論考にはいくつか興味深い記述がある。

 ヒトラーはマスメディアを駆使した最初の政治家だ。何をしたわけではないが、「何かをしてくれる」という期待をメディアで膨らませ続けた。自分の演説をおさめた映画を全国で上映し、大衆を熱狂させた。政権の座についた後は、さらにメディア支配を強める。・・メディア上で総統の髭とチャップリンの髭を比べることを禁止した。



・・義憤にかられたチャップリンは、1937年に「独裁者」制作を決意する。とたんに各方面から圧力がかかった。・・ヒトラー宥和政策をとっていた英国は高官を撮影所に派遣して中止を要請。米国民も、不況の中ヒトラーのような強力なリーダーを求めており、ナチスの支持者は多くいた。



 実はヒトラー現役時に、真っ向からヒトラーを批判した映画人はチャップリンだけだった、との説がある。
・・もちろん「ハリウッドでは」との注釈がいるのだろうけれど。
 ヒトラーは今でこそ極悪な独裁者と見なされているけれど、欧米のブルジョア層や大衆に一定の支持があり、有名なところでは大西洋無着陸横断飛行を成し遂げ、合州国の英雄となったリンドバーグも、その支持者の一人だった。
 最近邦訳が完成した小説「プロット・アゲンスト・アメリカ」(原題:The plot against America)では、1940年、もしルーズベルトではなくリンドバーグが大統領になっていたらという世界を描いている。


まだ私は未読ですが・・

さて同論考は以下の通り続く。

・・むしろ興味深いのは(独裁者の)1940年の公開時の宣伝コピーが「世界が笑います!」であることや、各地で「子供独裁者コンテスト」が開催されたこと、さらにデパートでは「今年のファッションを独裁!」などと流行語になっていたこと・・つまり作品をめぐる当時の状況から政治的要素が消えていることだ。戦争と向き合える状況そのものが消される-それが戦争の本当の怖さなのかもしれない。



 ひるがえって現代に目を移す。「何かを変えてくれる」と思わせる扇動政治家、イメージ戦略、そして向き合うべき困難は隠蔽される・・「独裁者」をめぐる状況そのものだ。ネット上やTVでイメージが氾濫する、いわば毒だらけの今こそ、ユーモアたっぷりの毒である「独裁者」を見直す時かもしれない。・・


 言うまでもなく「独裁者」の真骨頂は、最後、ヒトラーに扮した床屋が語る演説内容であって、そこにはすでに始まっている激しいレイシズムと戦争への批判であった。1940年当時、配給側は何を思ってこのようなコピーをつけたのだろうか。

 その回答は今現在の日本にある。