しんぶん赤旗日曜版5/26号-やくみつる氏のマンガから 元日本軍従軍慰安婦-一般的には「性奴隷」と呼称される-のお二人が、大阪市の橋下氏との面会を取りやめたとのこと。
良い決断と思う。
5月半ば、大阪市長の橋下が従軍慰安婦を冒涜する発言をし、米軍に対してまで、性欲処理に女を買えといわんばかりの妄言を吐いたことで話題になっている。
さすがに内容が言語道断すぎて、国際的に大変な悪評を受け、かつ珍しくもマスコミの多くが批判的論調だったこともあって、「維新」の支持率が急降下。
これを受け、橋下の論調もぶれまくっているけれど、結局のところ慰安婦は必要だったという考えを改めることもなく、現在に至っている。
今まで元慰安婦の皆さんからの面会要求を巧みに断ってきたくせに、一転受け入れを表明した橋下氏。どうせお二人に形だけの「謝罪」をし、自身の思考を改めないままに、この問題を封印しようという魂胆なのだろう。見え透いている。
ある意味お二人の「セカンドレイプ」を防ぐために、ご自身が橋下に利用されないように、今は離れておくのが得策と思う。汚いものを処理するのも一つの手だが、汚いものをよけるというのは一般的な選択肢だからだ。
するとやっぱり出てくる出てくる。ネトウヨ連中が。今回はそれだけではなく、なんと政治家がネトウヨレベルの発言をしはじめた。
「橋下氏の追及恐れたか」 中山議員、慰安婦面会中止で(朝日新聞)
日本維新の会の中山成彬衆院議員の発言。内容はタイトルの通りであまりにもバカげているので、あえて引用はしない。連中の言葉をここで広めることに加担はしない。
ネトウヨの「論争」なるものはあちこちで見ることができるけど、相手にしないでいると「逃げた」と反応をする人物が必ず現れる。
この中山という男、2008年にも暴言を吐いて、あっさり辞任。私も以前この事件に触れ、言葉の軽さを憂えたことがあった。
中山の当時の妄言報道
中山国交相が「誤解を招く表現」を連発、撤回(2008年9月25日朝日新聞) 中山国土交通相は25日、報道各社のインタビューで失言を連発した。「誤解を招く表現があった」として撤回したが、今後、波紋を呼びそうだ。
住民の根強い反対もあり整備が遅れる成田空港。今後の施策、整備の考え方を問われ「ごね得というか戦後教育が悪かったと思いますが、公共の精神というか公のためにはある程度は自分を犠牲にしてでも捨ててもというのが無くて、なかなか空港拡張もできなかった」と、住民の対応を批判した。
来月1日に観光庁が発足するなど注目を集める観光行政。訪日観光客を増やすには閉鎖的な国民性の克服が必要ではないかとの質問に「日本はずいぶん内向きな、単一民族といいますか……」と答えた。86年、当時の中曽根首相は、「日本は単一民族」と発言し、アイヌ民族から抗議を受けた。
文部科学相を経験している中山国交相は、教育問題にも言及。大分県教委の汚職事件について「日教組(日本教職員組合)の子供は成績が悪くても先生になる。だから大分県の学力は低い」と主張した。自ら提唱した全国学力調査については「日教組の強いところは学力が低いんじゃないかと思ったから」と実施の背景を説明。その仮説が証明されたとして「テストの役目は終わった」とも述べた。(引用終わり)
と、このように彼はかなり軽率なところがあって、当時からネトウヨっぽい事実に基づかない妄想的なことを、公的な場で口にしてしまう傾向があるようだ。
元慰安婦を侮辱する冒頭の発言もTwitterで流されたらしいが、こんな人物にTwitterで発言をさせることのリスクを、日本維新の会は認識できないということだ。橋下の発言といい、中山といい、組織的未熟さがここに露呈している。
・・・・・ このBlogを始めてから8年ほどになる。その間に日本軍による従軍慰安婦という性奴隷制度が、世の中で何度も話題になった。けれども私は、この間一度もこのことを話題にしていない。
なぜか。
書けないのだ。
私がこの問題を知ったのは1985年頃。石坂啓のマンガ安穏族でだった。90年代に入って、韓国民主化の機運の中で、被害者が名乗り出、たたかいを始めた。私たちも、当時「従軍慰安婦」問題に取り組んでいた高木健一弁護士を呼んで勉強会をするなどした。
だから、彼女らが背負わされた過酷な状況を、私はまともに直視する勇気を持てないでいる。
そのくらいに、つらく苦しいこと。そんな状況に置かれた人が、果たして強制ではなく自ら進んでそのような境遇を選ぶだろうか、と考えるのだ。連行したという書類が見つからなかった、ということをタテに従軍慰安婦制度を否定するのが、昨今のネトウヨのやり口だそうだが、そんなことは本当にどうでもいいことだ。
私は旧日本軍の本性を、もっとも的確に表しているものが、従軍慰安婦といわれる日本軍性奴隷制度だと考えている。それはとりもなおさず、戦前日本の軍国主義が、どのようなものだったのかをも象徴している。
だからこそ右翼やネトウヨは、躍起になってこの問題を否定にかかる。そういうことなんだろう。
しかし事実をねじ曲げることはできないし、過去を直視しない者は、未来に対しても責任など持てないだろう。ましてやそのような人物が、行政を司るなど、もってのほかということだ。