国民は公約を判断して候補者に投票するものなのに、その公約が守られなかったり、ハナから守る気がなかったりする現状で、何を頼りに投票したらいいのだろう。
・・選挙に立候補する候補者が政策を訴える(この内容が「公約」)
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|←-ここで候補者が政策を訴える場が少ないと国民に意見が届かない。
| 結果テレビ露出度が高いなどの「有名人」や大政党に有利になる。
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・・選挙権のある国民が公約を比較し候補者に投票
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・・候補者が当選、代議士になる
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|←-ここで公約がウソっぱちだと国民の意志を代行していないということになる。
| 国民は何を判断して投票すればいいのかわからなくなってしまう。
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・・代議士は公約を実行(結果的に投票した国民の意思を代行)
という代議制民主主義の基礎から考えてみる。政党が乱立してなんだかよくわからない、というときは、基本に立ち返って考えてみるとすっきりすることがある。
ここではあらためて「公約」というものを考えてみたい。
議会を持つ国家の基礎〜代議制民主主義というもの
日本国は代議制民主主義を採用している。
主権者であるところの「国民」は大変に数が多い。そのため自身の代表たる政党ないしは人物を、多数決により選出し、その政党もしくは人物に、自身の国家に対する主権を代行させる、これが代議制民主主義。
さて、その代行手法として、この国では「選挙」という方法が存在している。選挙に立候補する候補者(被選挙人)が、どのような思想を持って、どのような政策を実行するのかということを、国民(選挙人)が判断し投票することで、成り立つ制度だと言える。
であれば、候補者がどのような政策を訴えているのか。そしてその政策があまねく国民にきちんと伝えられているのか、そのことが代議制民主主義をきちんと機能させる、非常に重要な要素になる。
その候補者が訴えるところの「政策」、これを「公約」と言う。「マニフェスト」だとかその他の言葉で表現することもあるようだが、言葉はどうでもいい。選挙に当たって、候補者が何かを訴え、そして国民はそれを聞き、政策をもとに候補者を評価し投票する。
これが本来の代議制民主主義のあり方のはずだ。
だから当選した代議士が、選挙公約に反することをするだとか、公約にないこと(その代議士の公約から考えて到底すべきではないことも含む)をする時、それは代議制民主主義を脅かす、重大な問題行動となる。
どんな政策を訴えているかではなく、きちんと公約を守る気があるのかを見る
十いくつも政党が乱立している。数日しか存在せず他党に吸収された政党もあり、この度の急な解散は、マスコミや一部ネット界隈にもてはやされていた「第三極」とやらの正体をあぶり出す結果にもなったようだ。
まあ、それはいい。
十いくつもの政党が、色々な政策を並べている。でも考えて見たい。
そもそもその政策を、その党がきちんと推進してくれるのだろうか。
結果的に実現できなかった。それはいい。様々な要因もあって、特に野党の政策などは実現できないことも多かろう。それは仕方がないことで、公約に反していることにはならない。
けれどそれが与党だったら?それでもまだ考慮の余地はある。
けれど、公約と全く反対のことをしていたら?
公約を発表したあと、代表だかいう人物が私は聞いていないとその公約をひっくり返すような言動をする、そんな公約破り以前の政党すらある。
そんなところの若い方の代表は、選挙で選ばれたのだから全権委任だ、みたいなことを言っていた。この人物は選挙公約など、自らの野望を実現するための空手形にすぎないとでも思っているのだろう。
そんな政党が第三極と言われ一部マスコミにもてはやされている。
だからもはや、どの政党が何をするか、なんて点で候補者を選んでいる場合じゃない。候補者が「これをやります」「あれをします」なんて言っていても、そもそもそれを守る気がないのだから意味がない。
きちんと公約を守って活動しているところをまず探さないといけない。
過去にさかのぼって、その候補者や政党が何をしてきたのか、何を言ってきたのかを点検して、この人たちの言っていることは本当なのか、ただの人気取りじゃないのか、ということを考えなければならない。
この現状を「民主主義の危機」と言わずしてなんと言おう。「政治の劣化」と言わずして、なんと表現すべきだろう。
公約を守らないのなら、代議制民主義は機能しない
かつて「公約」と言えば、選挙の要であって、それを当選した後の代議士や政党がどのように実現するか、実現するために努力するかが強く問われていた。
ましてやその公約を実現できないどころか、公約に反する行いは厳しく指弾された。
かつて、そう、1986年のことだったと思う。自民党は中曽根政権下で衆参同日選挙を実施した。結果は自民党の大勝利だった。そして翌年、選挙公約にしていなかった「売上税」導入を自民党は言い出した。結果どうなったか。
翌年の地方選挙で自民党は大敗。「売上税」は廃案に追い込まれた。しかしそれでも自民党は「消費税」を再提案。選挙のないまま消費税法案は88年に可決。89年の参院選では社会党ら野党が初めて過半数を占める事態に突入した。思えばこれ以降、自民党は単独で政権を維持することが事実上不可能になっていた。
90年代の半ば以降だった。社会党がそれまでの政策をかなぐり捨てて、自民党と連立し始めた。その後社会党は急速に退潮する。そしてその座は公明党やら自由党やらが代行した。すでに自民党は単独で政権を維持することができなくなっており、これらの勢力が自民党政治を補完してきた、いや今もしていると言えよう。
公約を守らない政党は国民の厳しい審判を受ける。公約を破るとはそういうことだったはずだ。なぜならそれは、代議制民主主義の根幹に関わることなのだから。
政党が公約を軽んじ始めた
数年前から、個別の政策である場合の多かった「公約」に代わって「マニフェスト」とかいう言葉が流行り出した。
「マニフェスト」には本来それなりの意味があったのだろうが、ここ十数年間の自民党政権、そして今の民主党政権を見ていると、個々の公約を守るつもりのない勢力が、公約破りの批判をそらすために、総花的な「マニフェスト」を提示する作戦に出た、そんなうがった見方もしたくなる。
まさに「マニフェスト」(*)のごとく、事が終われば意味を成さなくなるように。
*産業廃棄物の収集処理を証明する書類を「マニフェスト」と言う。事業所に保管義務はある。
さて、私がるる述べてきたようなことは、ほんの数十年前までは指摘するまでもない当たり前のことだった。政治家が公約を破るということはそもそも想定されていなかった。
私はこの意味で、現在の政治状況がどれほど狂っているか、どれほどまでに代議制民主主義が蹂躙されているのかを感じている。
そこらの年寄りのように、私は「最近の政治家は・・」なんてことを言いたくはない。様々な物事で、過去より今が劣っていることは実は少ない。しかし政治状況は、確実に劣化が進んでいるように見える。
それは特に、衆院で小選挙区制が始まった頃から顕著であるように思う。
きちんとぶれずに、地道に政策を実現している、いや、実現が難しくても、愚直に努力している、そんな政党を、候補者を、私は選びたい。
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ああ、最後に。自公は完全にアウトですよ?対米密約がここ数年報道されてきたでしょう。沖縄返還だとかね。「密約」は公約破り以前の反民主主義的行為なので。なんかこんな政治状況で自民党の支持が伸びているようだけれど、ここが伸びるともっとひどいことになりますからね。
で、結論としては私は共産党に投票する。これ以外の選択肢はないと考える。
*私はこのBlogで意図的に「国民」と「人民」という言葉を使い分けています。両者は重なる部分もありますが、異なる部分もあります。