近くの枯葉を計測 特に吹き溜まりなどを選んではいないのだがこの数値 ガイガーカウンターのRADEX1706を持参した。楢葉町に入ったあたりから、みるみる数値が上がる。バス内でも 0.7μSv/hくらい。こうして現地で計測してみると、都内ではあり得ない数値がやすやすと計測される。風が吹くとそれに伴って、数値が上下する。セシウムなどがエアロゾル化して舞っているのだろう。
講演の間など短い時間は滞在ができる。しかし宿泊はできないとのこと。放射線量が高いのだ。
お寺の中の池 このお寺、事故前は雑草一つなく整備されていたそうだ。しかし今はあちこちに草が生えている。避難期間中に池の鯉は9匹中7匹が死に、戸外のトイレには桐が生えてしまったとのこと。
お話の後、広野町に戻る。放射能は楢葉から広野に向かうほんの10分程度の行程で、0.7μSv/hくらいから0.2μSv/hまで急速に下がった。これには驚く。
左は楢葉町のバス中で計測 右は同じく広野町のバス中にて広野町にある食堂・民宿の駐車場 地元の人が事故前にはこんなに駐車しているのを見たことがない、というほどに混雑している広野町の水田。楢葉と同じく雑草が生えているが、ここは作付け制限はされていない。田植えをしても誰が買うのか、という点からこのような状況であるとのこと・・・・・ ガイドをしてくれた、いわき市の医療生協の方の話を聞く。
原発のことを話す。福島第一原発の立地自治体である双葉町の町長が、この度ようやく「町が誘致した原発が皆さんにご迷惑をおかけしたのなら申し訳ない」的な謝罪を言ったとのこと。
彼は、そんなのわかり切っているじゃないかと、私たちが危険性を言って来たじゃないかと。そう指摘した。「けれど私たちは彼ら(原発推進派)に
「原発は地震にも津波にも耐えた。大丈夫だったじゃないか」と言って欲しかった」と続けた。そのあと少し沈黙する。
目頭を一瞬押さえたのを私は見逃さなかった。すぐあと、近くの状況を丁寧に説明し続けた。
実際に被害をこうむっている、そしてその状況が如何に深刻かを、この時に感じた。
原発を巡っては、様々な対立構造がある。今、私たちがこうむっているフクシマ原発災害への評価以外にも、そもそも建設時に賛成/反対の対立構造があり、できてからも補助金の動向で地域に対立を生み出す。
そして事故が起こる。すると、放射能の評価をめぐって、避難する/しないという地域内の対立。そして地元産品を食べる/食べないという被災地と消費地の対立。
けれどそれは偽りの対立構造でしかない。
対立を持ち込んだのは、いうまでもなく国策として原子力を推進した戦後から現在に至るまでの歴代政権であり、それを忠実に実行に移した電力会社各社。偽りの対立軸を設定して、人民を分断する-そう、英国が植民地で取った統治機構によく似ているじゃないか。
偽りの民族主義をあおって、植民地統治に利用した、そしてそれが90年代にルワンダ大虐殺を生む遠因となった、その統治機構に。
こんな偽りの構造に振り回されてはならない。責任を取るべきは国と電力会社なのだから。
・・・・・ 広野から海岸線を通っていわき市の小名浜に向かう。延々と続く被災の跡。土台しか残っていない家。それが今でも続いている。
今、1年半経って、道路はきちんと機能しているが、ガイドの方は言うには、地震の直後、道はがたがたであちこち隆起したり陥没したりで、通行できない状況だったとのこと。
建物の土台だけが残っている 居住を制限されたところとそうでないところがあるとのことだ四倉漁港 津波で破損した漁船が積み上げられているあちらこちらで震災がれきが山積みになっていた一部立ち枯れている防潮林。この地域では防潮林が津波を防いだところも結構あったようだ。防潮林の奥にはこれもがれきを入れた袋が積み重なるアクアマリンふくしま小名浜漁港にて・・積乱雲とクルーザー 帰り、小名浜漁港に寄る。アクアマリンふくしま-たしかサンマを展示している世界唯一の水族館だった-そして昨年11月に復旧した「いわき・らら・ミュウ」の市場で買い物を。
けれどここで売られている魚介類は、地元小名浜の物ではない。あちこちから入荷しているのだ。小名浜は確かに設備は流された。氷を作る業者も復旧できていないようだ。ただ、地元の魚を売れないのは、何も設備だけの問題ではないようでもある。カツオを水揚げしても、地元では売れるが築地には安くて卸ろせない。そんな中で漁に出ても・・という事情があるようだ。
冷蔵品は持って帰るのが難儀なので加工品を見る。じゃこやノリの佃煮のところをみる。じゃこの佃煮はちょっと甘い。試食して「甘いかな」と言うと、店のおばちゃんが「これは神奈川のだから、ちょっと味が違うんだ。こちらだともっと辛めに作るんだけど。売っているのにこんなこと言うのは何だけど、ちょっとね」なんて言う。
ノリを買う。三重の物だそうだ。地元のはもっとノリの風味があるんだけど、とポロッと言う。
そのふとした言葉に、地元のプライドを見る。地元の産品を売れない苦しさが、そこに見えているように感じる。
また行こうと思う。今度はもう少し時間を取って。