立川市花火大会の、昨年のこと [雑想]
7月末、29日。今年の隅田川花火大会は雨だった。
その隅田川といつも同じ日、ここ立川でも花火大会があった。立川市の昭和記念公園で、例年非常に多くの人が集まる。
立川でも当日は小雨交じりのあいにくの天気。私は公園には行かず、自宅の窓から小さくも何とか見える花火大会を楽しむのである。
こんな感じに見える
Huawei Mate9のデュアルカメラだと暗すぎて、高感度モノクロが優先されてしまいこの画像
花火大会の日はいつも立川は暑い。臨海部の隅田川花火大会よりも会場は暑いのだ。それが当日は、小雨もあって少しだけ涼しい。いつも自宅で見るときは、暑い中ベランダに出て見るのだけれど、暑さに耐えかねてすぐに冷房の効いた部屋に入ってしまう。そして部屋のTVで隅田川花火大会の中継を見る、なんてことになってしまう。
もう一年か、と思い出す。去年のことを。
1年前の花火大会の日。医療情報技師の例会があって、新宿の東京医科大病院に行っていた。その帰り、立川駅でちょうど花火大会の大群衆に遭遇する。
ああ、今日は花火大会の日だったっけ。私の娘はそういえば、友達と一緒に会場で花火を見ると言っていたな。
・・彼女の面会に行こうかな。この近くの病院だし。けれど夕飯時だし、かえって迷惑か。また今度にしようか。
「彼女」というのは私の自宅そばに住んでいる私の働く病院の同僚だ。同じく同僚の、ずいぶん年下の男性と結婚した。息子は私の下の子と同級生。保育園も小学校も同じだった。保育園の行事で初めて彼らに遭遇し驚いたが、向こうもやっぱり同じように驚いていた。保育士は同じ職場であることを知っていたようだが。
そんなわけで、彼女と私は年が近いこともあって、夫君とともに仲はよかった。少々・・いや、かなりおおざっぱな性格だが、過密な業務をしている中では、その性格に救われることも多々あった。ある意味ムードメーカーのような人だった。
それが昨年の花火大会の、大体2週間くらい前からだろうか、検査入院することになった。病状は結構シリアスらしい。検査にしては入院期間が長いし、これはデカい病気ではと勘ぐっていたが。まあ、原発巣は分からないが、癌だったのだ。
しばらくしてあまりにも疼痛がひどく、麻薬投与も始まったと聞いた。驚いた。つい半月前には元気に仕事に来ていたのに。
いや、元気ではなかった。痛みはあったのだ。腰のあたりが痛いと言うので、私も含め皆で検査を受けることを勧める。ふざけて「癌じゃねーか」「やめてよ縁起でもない」なんてやりとりをしたこともあった、なあ。
とはいえまだ若いし、今はもう癌だからと悲観する時代ではないし、治療により改善の望みはある。
そして週が明け、月曜日に彼女が心肺停止状態になったと聞いた。立川の花火大会が始まる直前くらいに急変したんだそうだ。それからは早かった。
葬儀の日取りが決まり、退職した人にも連絡を取り、通夜には百人ばかりが訪れ、職員が数多く要員として動いた。私も両日、志願して要員となった。
花火大会を見るとそのことを思い出すようになった。あれから1年。
・・・・・
葬儀の会場では皆泣いていた。うらやましいと思う。私は人が死んでも涙が出ない。ただその時の記憶が、そのまま残ってしまう。
泣くことで人は忘却できるのだそうだ。辛い記憶を和らげるために泣く。
泣けばフラッシュバックのように辛くなることはなくなるのか、なあ。つい先日のことのように、思い出すことはなくなるのだろうか。でも・・。
あれから一年も経った。まだ、彼女の残滓が職場に残っている。
その隅田川といつも同じ日、ここ立川でも花火大会があった。立川市の昭和記念公園で、例年非常に多くの人が集まる。
立川でも当日は小雨交じりのあいにくの天気。私は公園には行かず、自宅の窓から小さくも何とか見える花火大会を楽しむのである。
こんな感じに見える
Huawei Mate9のデュアルカメラだと暗すぎて、高感度モノクロが優先されてしまいこの画像
花火大会の日はいつも立川は暑い。臨海部の隅田川花火大会よりも会場は暑いのだ。それが当日は、小雨もあって少しだけ涼しい。いつも自宅で見るときは、暑い中ベランダに出て見るのだけれど、暑さに耐えかねてすぐに冷房の効いた部屋に入ってしまう。そして部屋のTVで隅田川花火大会の中継を見る、なんてことになってしまう。
もう一年か、と思い出す。去年のことを。
1年前の花火大会の日。医療情報技師の例会があって、新宿の東京医科大病院に行っていた。その帰り、立川駅でちょうど花火大会の大群衆に遭遇する。
ああ、今日は花火大会の日だったっけ。私の娘はそういえば、友達と一緒に会場で花火を見ると言っていたな。
・・彼女の面会に行こうかな。この近くの病院だし。けれど夕飯時だし、かえって迷惑か。また今度にしようか。
「彼女」というのは私の自宅そばに住んでいる私の働く病院の同僚だ。同じく同僚の、ずいぶん年下の男性と結婚した。息子は私の下の子と同級生。保育園も小学校も同じだった。保育園の行事で初めて彼らに遭遇し驚いたが、向こうもやっぱり同じように驚いていた。保育士は同じ職場であることを知っていたようだが。
そんなわけで、彼女と私は年が近いこともあって、夫君とともに仲はよかった。少々・・いや、かなりおおざっぱな性格だが、過密な業務をしている中では、その性格に救われることも多々あった。ある意味ムードメーカーのような人だった。
それが昨年の花火大会の、大体2週間くらい前からだろうか、検査入院することになった。病状は結構シリアスらしい。検査にしては入院期間が長いし、これはデカい病気ではと勘ぐっていたが。まあ、原発巣は分からないが、癌だったのだ。
しばらくしてあまりにも疼痛がひどく、麻薬投与も始まったと聞いた。驚いた。つい半月前には元気に仕事に来ていたのに。
いや、元気ではなかった。痛みはあったのだ。腰のあたりが痛いと言うので、私も含め皆で検査を受けることを勧める。ふざけて「癌じゃねーか」「やめてよ縁起でもない」なんてやりとりをしたこともあった、なあ。
とはいえまだ若いし、今はもう癌だからと悲観する時代ではないし、治療により改善の望みはある。
そして週が明け、月曜日に彼女が心肺停止状態になったと聞いた。立川の花火大会が始まる直前くらいに急変したんだそうだ。それからは早かった。
葬儀の日取りが決まり、退職した人にも連絡を取り、通夜には百人ばかりが訪れ、職員が数多く要員として動いた。私も両日、志願して要員となった。
花火大会を見るとそのことを思い出すようになった。あれから1年。
・・・・・
葬儀の会場では皆泣いていた。うらやましいと思う。私は人が死んでも涙が出ない。ただその時の記憶が、そのまま残ってしまう。
泣くことで人は忘却できるのだそうだ。辛い記憶を和らげるために泣く。
泣けばフラッシュバックのように辛くなることはなくなるのか、なあ。つい先日のことのように、思い出すことはなくなるのだろうか。でも・・。
あれから一年も経った。まだ、彼女の残滓が職場に残っている。
タグ:立川市
子供さんもいらしたのに、心残りだったでしょう。でも、きっと寄り添ってくれていますよね 。
文面からお人柄の良さが偲ばれます。
by ponnta1351 (2017-08-18 13:53)
病気の進行が早く、本人も予想できない事態だったのではと考えています。残された家族は、元気に暮らしていますが。
いつもコメントありがとうございます。
by Mosel (2017-08-19 08:18)
はじめまして
訪問とniceありがとうございます。
by ファルコ84 (2017-08-19 09:32)
こちらこそご訪問ありがとうございます。
今後ともよろしくお願いします。
by Mosel (2017-08-20 07:27)