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東京都の卒業式に見る統制 [社会情勢]

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イメージ映像(一応)

 上の娘が卒業する。

 小学校を。

 小学校に上がったことをついこの前のように思い出すことができる。本当に長かったような、あっという間だったような。
 低学年時、若干の学級崩壊っぽい感じになった-担任教師が病気休職した-こと以外は、特に大過なく進んでいたように思う。

 半日ほどかかった卒業式が終わって、校庭に集まった教師と児童、そしてその親が写真を取り合っている。それこそたくさんのペアを作って。あちこちで、パシャパシャ写真を撮っているのが現代の光景っぽいなあと思いながら、校舎を後にする。

 娘と仲の良かった子は、同じ学区ではあるのだけれど、スポーツ特待や私学受験などで別の学校に行く子も何人かいる。

 これが今の卒業式だ。


 さて、単に喜んでもいられないこともある。


 今年も早々と「処分」された教職員がいた。24日に行われた卒業式での「処分」内容が翌日付で発表され、その翌日に新聞報道されるのだから、これはもう内容の検討もない機械的な処分というものだろう。

 それは、「君が代」斉唱時の不起立による「処分」である。
 娘の小学校でも同じように「君が代」斉唱があり、その間教職員、児童、来賓、そして私のような家族、それらが起立して「君が代」斉唱という流れがあった。
 まず、卒業式開会の宣言。その際に主催者が起立を求める。宣言のあとすぐに「国歌斉唱」とのアナウンス。たたみかけるように伴奏が流れる。
 流れるように進んでいくこの式次第。「君が代」斉唱時に何としてでも参加者をたたせようとの苦肉の策で、東京の公立校では一般的になっていると聞いていた。私のところも同じなのだ。不規律を貫こうかと悩んでいる間に「君が代」斉唱が始まってしまい、座って不起立を示したいという意思をくじく流れ。
 そこまで逡巡しなくても、ぼんやりしていると立ったまま式次第が進んでしまうという進行である。

 そうか、これが都教委のやり方か。そう私は思い、「国歌斉唱」と聞こえた時点で直ちにドスンと着席する。

 私の後ろでは、思考を停止した教員が「君が代」を歌っているのが聞こえるが、保護者は誰一人として歌ってはいない。まあ、これは「校歌斉唱」の時も似たようなものだったが。

 上記「処分」が行われた卒業式と同日に、君が代不起立を理由に懲戒免職された教員の処分取消裁判で、東京高裁は都教委を断罪。処分の取消しを命じた。澤藤弁護士によると、都教委の敗訴は12回連続とのことである。

「またも都教委敗訴。裁判12連敗と乙武洋匡不祥事」(澤藤統一郎の憲法日記:2016年3月24日)

・・・・・ほんの少し前はこうではなかった

 式場にも、そして校舎にも、日の丸がはためいている。これもまた、昔では考えられなかった光景だ。
 自民党政府は戦後すぐにも、こうした光景を望んできた。日の丸を掲揚し、君が代を斉唱する学校を。1966年に文部省の答申「期待される人間像」は、旧来の大日本帝国時代に回帰することを目的としているのだと問題になった。
 言うまでもなく戦前は、日の丸は大日本帝国の象徴であったし、君が代は天皇の世を讃え「千代に八千代に」続くよう願った歌であった。
 戦後それらはそのまま残ったが、それを公教育に導入させないのが戦後民主教育の一つのあり方であったと、私は認識している。だから1980年代まで、学校で日の丸が掲揚されることはなかった。君が代が歌われることもなかった。そもそも「国旗」でも「国歌」でもなかったから。
 80年代の後半になって、卒業式に日の丸を掲揚することが始まった。私がちょうど高校の卒業式に掲揚が始まり、例年卒業制作が壇上に掲揚されているのに、それが脇に追いやられ、代わりに日の丸が壇上に鎮座していた。それを当時の生徒会長が「本来は卒業生の作品が掲げられるその場所に、日の丸があることを残念に思う」というようなことを言っていたことを思い出す。

 さて1999年に石原慎太郎が都知事になった。2期目となった2003年。都教委が「10.23通達」と呼ばれる指令を出した。「入学式、卒業式等における国旗掲揚及び国歌斉唱の実施について」というもの。これにより、東京都下の公立校すべてで、日の丸の掲揚と君が代の斉唱が強制され、それに従わない教職員が多数処分された。

 都教委のこのやり方は当時からみてもかなり極端だし、これを元に教職員を処分するのは違憲との判決が出たこともある。しかし石原都政に心酔しているらしい当時の橋下府政下でも同様の状況が現出したし、全国的にもこの方向性になってきているようにも思う。

 そうした中で18歳選挙権が今年からスタートする。実は左翼の間では18歳選挙権は長年望まれてきたものだった。自民党が頑として認めなかったのだ。少なくとも1990年代までは。
 それが去年あたりからか、突如18歳選挙権が話題になり、そんな経過なものだから誰も反対するものもなく、あっさりと念願の18歳選挙権が達成されてしまった。

 それは結局のところ、上記示してきたように、教育分野での右傾化が進んだことと無関係ではあるまい。

 今年は教科書検定に関して、歴史教育や政治経済分野で政府寄りの記述にするよう、文科省の強烈な介入が話題になった。
*一方で「沖縄県の経済は米軍基地への依存度が極めて高い」と謝った記述をした帝国書院の教科書については文科省はスルーした。どこを向いているのかはっきりわかる事例といえる。

 戦争法は話題になったが-もちろん今でもホットトピックだが-、教育分野での政権による介入と右傾化工作はかなりの部分まで進んでいると考えられるだろう。

・・・・・

 さて、儀礼的かつ強制的な件の起立斉唱の後、式は厳かにすすんだ。そして-これは日本独特らしいが-卒業生と在校生の歌が披露された。卒業生の多くは泣いていた。そして親たちも・・。娘の担任の泣き様は、周りが引くほどだったけど。

 これからの子どもたちを、政権が求めるような、単なる一兵卒として、「駒」としてしか見られない人を作らせないように、私たち大人がしっかり見ていかなければならないと、こたびの卒業式を見て思うのだった。

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スモモの花が満開になりました
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ponnta1351

東大をはじめとする国立大学数行もも入学式卒業式に国旗掲揚はしてませんね。 どちらが良いのかはっキリ判断できません。
他国は自国国旗を誇らしげに掲揚しているようですが。
日の丸=戦争というイメージが強いのでしょうか?
by ponnta1351 (2016-04-01 09:49) 

Mosel

ponntaさんこんにちは。
国旗国歌でこれほどまでに議論が起こるのは、やはり70年前の戦争を、日本がきちんと総括してこなかったことに、問題の始まりがあるのだと思います。
安倍政権のようなものが存在してしまうことも、その一端でしょう。
そもそも日の丸君が代が国旗国歌になったのは、ほんの15年前のこと。いずれにせよ、東京都のような強制が行われていることには、問題が多いといわざるを得ませんね。

by Mosel (2016-04-02 06:56) 

いっぷく

今年ご卒業ですか。私の長男もです。小学校。
親も起立して君が代歌いましたが
私は歌いませんでした。

by いっぷく (2016-04-02 17:17) 

Mosel

いっぷくさん。コメントありがとうございます。

長女が今年卒業でした。
参加者全員起立してはいましたが、開会宣言で起立させ、そのまま君が代を歌わせる。着席するにはそれなりの意思が求められます。
10.23通達の直後は君が代斉唱時に起立を求めていたところが多かったはずです。

私はあえて着席しました。そう言えば共産党の市議会議員も来賓として来ていましたが、彼女がどうしていたのかは見えませんでした。
by Mosel (2016-04-03 08:44) 

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