So-net無料ブログ作成

戦争遺跡などもうつくらせない~東大和と昭島と [雑想]

130717Monu1.jpg
 私の家のほど近くに、東大和南公園というのがあって、結構広くてプールなどもあるものだから、よく行くのである。日曜は暑かったので子どもたちと妻をプールに連れて行き、私は公園を散策することにした。
 そこに、灰色の、小さな古びたビルがある。

130717Monu2.jpg
旧日立航空機工場立川変電所

 外壁は傷だらけ、というか穴だらけ。米軍の艦載機による銃爆撃で、このような惨状になっている。掲示によれば、グラマンやB-29による爆撃が都合三回あったとのこと。
*当時グラマンと言えばF6FやF4Fのこと。当時の日本機よりも格段に高性能だった
 10年前に行ったベトナム、旧サイゴン市街にはこのような弾痕のあるビルがあって驚いた。そんなことを思い出す。実は近所にこんなところがあったのだ。

 そして何より驚くべきは、掲示によると、この施設は小松ゼノアなどが買い取り、1993年まで稼働していたということだ。
 私が東京に来た頃には、まだまだ現役で働いていた施設だったんだ・・。とはいえ、もうあれから20年。現在では多摩地域の戦争遺産を尋ねる際には、一番と言っていいほどの有名施設になっている。交通の便も比較的良く、見た目のインパクトも高いからだろう。

130717Monu3.jpg
建物裏には、変圧器の名残がある

130717Monu4.jpg
外壁の弾痕が生々しい

130717Monu5.jpg
給水塔(2000年まで稼働)の一部も保存されている

130717Monu6.jpg
建物の脇には慰霊碑


 多摩地域は旧軍の軍事施設が非常に多かった地域で、現在公園となっているこのエリアは、かつては一帯が軍需工場だったようだ。

 戦争遺跡のすぐそばで、プールではしゃぐ子どもたちの声が聞こえる。平和な風景だ。実に。


130717Monu10.jpg
 続いて昭島へ。
 東中神駅の北、昭島市中神町のあたりに細くて湾曲している道がある。

130717Monu7.jpg
細長い道が続く

130717Monu8.jpg
道沿いなのに道側に入り口のある家が少ない

130717Monu9.jpg
それはここがかつて鉄道の跡地だったから

 旧軍立川基地、そしてその後は米軍立川基地だった地域にほど近いこのエリア。これは軍需工場の引込線だった跡地で、かつてここに単線の鉄路が伸びていた。説明掲示によると、「工廠線」とか「立川基地引込線」と呼ばれていたようだ。線路が残っているのは、市街地のど真ん中にあるこのモニュメントだけ。しかも雨ざらしで塗装がはがれている。

 古くからこの地域で働いている人の話を聞いた事がある。現立川市の立川基地、昭島の昭和基地、調布や三鷹など多摩地域は軍事基地がたくさんあって、それがために戦争後米軍に接収されていたと。引込線のある昭島や立川の上砂町界隈は、米軍用の「ハウス」がたくさんあった。「ハウス」の賃料は非常に高かったけれど、米軍人や軍属は家賃を払う必要がないからゆうゆうと暮らしていたと。
 今でもこの地には当時の建物がわずかだが残っており、人も住んでいる。

 彼はこうも言っていた。立川基地の拡張阻止のために、大変な運動があったと。

 砂川闘争のことだ。

 たくさんの人が闘争に参加し、警察ともみ合った。近くの阿豆佐味天神に闘争参加者が集まって闘い、基地の拡張を許さなかった。
 そして米軍は撤退し、基地は拡張されることなく返還され、今こうして立川市が発展しているのだと。

 私の家族も、遠く高知県から砂川闘争に参加したという話しをする。すると彼は、懐かしそうに喜んで、学生もたくさん参加していたと感慨深く話してくれた。

 立川基地から米軍は撤退し、こうして立川は発展しているけれど、一方で撤退した米軍は横田に移り、そして沖縄に移っている。単純に喜ぶことではないけれど、立川基地拡張を阻止した砂川闘争が、立川市の現在を作っているという点に間違いはない。


戦争遺跡などもう作らせない

 これら戦争の爪痕は、すべて「遺跡」となり過去のものとなっている。これ以降新しい「遺跡」は存在しない。それは。
 憲法が戦争を禁じているからだ。

 憲法9条が、それを曲解し軍隊を保持している日本政府に、最後の歯止めをかけているからだ。だから「遺跡」は「遺跡」のままでいられる。次から次へと被災建物が生まれれば、戦争遺跡は「遺跡」と認識はされないだろう。

 私たちがこうして平和な世界の元で、戦争遺跡を眺めていられるのは、実は大変幸福なことなのだ。平和は油断すると簡単に打ち破られる。
 平和でいられる状況を知らず、軍拡や戦争へと舵を取ろうとする人は、平和を維持することの労苦を知らないのだろう。

 私はそれを「平和ボケ」と言う。

 平和ボケした連中が、勇ましい言葉とともに憲法を変えようと躍起になっている。まず簡単に憲法を変えられるように96条を、そしてその後は9条のみならず、人権全般を規制する方向に変えようとしている。

自民党改憲案「“超”口語訳」(1)~秋原葉月 様 「Afternoon Cafe」

 そんな自民党に投票することの危険性を感じつつ、こうして多摩地域に残る戦争遺跡を見た。
 こんな遺跡はもうつくらせない。つくらせてはならない。日本でも、そして世界でも。

nice!(10)  コメント(2)  トラックバック(0) 

nice! 10

コメント 2

cheese999

横須賀にも軍の遺跡はたくさんありますね。。
日米親善?
冗談じゃない。。不良米兵による事件は後を絶ちません。
ジョージ・ワシントンともに、熨斗つけてかえしたい。アメリカに。(^_0)ノ
by cheese999 (2013-07-19 05:32) 

Mosel

この記事で紹介した、昔のことを話してくれた人は、かつてエンタープライズ入港反対闘争にも参加したと言っていました。ベトナム戦争のさなか、1960年代のことです。

原子力空母が寄港するのが当たり前の世の中になってしまいました。本当に熨斗をつけて返したいところですね。
by Mosel (2013-07-19 08:21) 

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0