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疲れる仕事にDクラスなひと [現場のシステム]

 仕事をしていて一番疲れるなあ、と思うのは、山盛りの仕事を処理するときでもなく、肉体労働をするときでもない。技術的に困難な状況に直面したときでもない。下の2点が「一番疲れる仕事」だ。

・担当があいまいなまま放置されている仕事をやらなければならないこと
・担当者がミスした仕事の尻ぬぐいをしなければならないこと

 ほら、あちこちで火を噴いている失敗プロジェクトの担当にさせられそうになると、うんざりするでしょう?なら初めからやらせてくれよって言いたくなるでしょう?
 ほったらかしになっている仕事って、大概が状況が悪くなっているから、担当でもない人がやらざるを得なくなっているわけで。他人の尻ぬぐいの仕事って、まずミスの原因究明とか場合によっては謝罪から始まらなければならないわけで。

 つまり両者に共通するのは、ゼロからのスタートではなくて、マイナスからのスタートだから、そしてそのマイナスの原因が自分ではないから、理不尽さとか、やるせなさとかを感じてしまう。理不尽さややるせなさからは公平感も生まれず、失敗プロジェクトは大成功する可能性も低く、成果もなかなかでないから達成感も得られない。

 つまりは、こんな仕事はモチベーションを著しく下げる、ということだ。そしてそれは業務マネジメントがきちんと機能していないことも意味する。

 合州国発のビジネス論文をよく読んでいると、社員を業績に合わせてクラス分けするものに時々出会う。私は人材マネジメントに関するものを好んで読むので、なおさらそんなものに遭遇する率が高い。

 彼らは社員をAからCまでの3段階に分ける。80%の利益をたたき出すAクラス社員は全体の20%。そして多くの目立たないが、大事な働きをしているBクラス。業績は残すものの、困った行動を見せるCクラス。それ以下はランク外。つまり「解雇対象」・・。

 そんな評価を誰が下すのか、その内容に正当性があるのか、という議論はよくある。そう思う。使えない、と言われている人がいる職場をよく見ると、実は上司が使えないヤツというだけだったことも知っている。

 けれど、一方で私自身も一緒に働いていて我慢ならない局面に陥ったことが何度かある。そんな人と働かなくてはならない状況になると、それはそれは苦労するものだ。誰がその責任をとるのだ。実際にやれる人間はオレだけじゃないか。いったい誰がそのツケを「とらされて」いるのだ、と浅ましい思いになって鬱になる。

 そんな人たちと一緒に仕事をしながら、どのように説明すればいいのだろう。どう言ったらわかってくれるのだろう、どんな態度で接すればいいのだろう、と思いつつ、これでも結構遠回しにわかるように話してみたり態度に出したりしてみる。

 私のやっている仕事は、そんなにレベルは高くないんだけれど、一応これでも専門的な分野の仕事なので、他部門の人にはクオリティが測りにくい内容だ。だからそれができるリーダーが必要なんだけれど、残念ながらそんなリーダーがいないので、適当な仕事も優れた仕事も一見してはわからない。業績評価制度もないからしゃかりきになってやる必要もない。
 適当な仕事をしてやり過ごすこともできるけれど、私にはそれができない。特にこだわっている仕事の分野には、自分の休暇を使ってでも知識を得、質を高める努力をしている。かくして適当なマネジメントでも職場がとりあえず回っている。

 「がんばらないで適当にやったほうがいいのかもね」と職場の人に言われた私。「適当に」やっている仕事も、実は結構あるけどねえ。

*以前の内容から変えております。書いた当時はある事件があって本当に激怒していたものだから。多忙だった時期だし。けれどそんな内容はつまらないし見苦しい。
 はあ、最近グチっぽいなあ。


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